No. 1870

改葬で心に染みた母の愛
人生を全肯定できた喜び

(愛媛県YI/50代女性/主婦) 

繊細で傷つきやすく、心は少女のまま、大人になったような母。親としてかばってもくれず、相談もできません。半面、教育熱心で、母の理想を押し付けられ、思いを聞いてもらえないのが、本当に寂しかったです。そんな苦しい気持ちを抱えながらも、私は、デリケートな母の気質を、見事に受け継いでいました。 

本来ならば愛憎の中、母娘断絶していたに違いありません。しかし、親子でつまずきつつも、真っすぐ歩んでこられたのは、神の教えがあったから。「しっかりした娘」と褒めてもらった時は、どれほどうれしかったことか…。結婚や子供の誕生も心から喜んでもらい、最期も、父と一緒にみとることができました。玉納奉寿(葬儀)では、穏やかなほほ笑みを浮かべた母を、感謝の気持ちで見送れたのです。 

参拝するたびに感じる不思議

それから15年。親戚の転居を機に、墓じまいの話が持ち上がり、母を神示教会の神玉園へ改葬することを決めました。納骨を前に、新しい骨壺に収め直していただいた遺骨は、汚れが落とされ、白く、きれいになっていました。職員が丁寧に清めてくれたと聞いて、「母の生きた証しを、これほど大切にしてくれるなんて」と、ただただ感動でした。続く神玉の儀(納骨)では、「温かい神の愛に包まれて、母も喜んでいるに違いない」と、家族の心も安心感に包まれました。 

以来、神玉園で挨拶するたびに、目の前に母がいるような不思議な感覚を味わっています。さらに、母の魂に思いを語り掛ける中で、不意に胸に迫ってくるものがありました。それは、あまりに深い親心。私が仕合せになれるように…。ただその一心で、勉強を勧めたのだろう。褒めることなく、「もっともっと」と言ったのも、私の成長を願っていたからなんだ。一生懸命育ててくれた母の愛が、心の奥の奥まで染み渡ってきたのです。 

「かわいそうな人」からの脱却

その瞬間、長年の呪縛から解き放たれました。「私は、親の愛を受けられなかった“かわいそうな人”なんかじゃない!」。惨めで、人から同情されるだけと思っていた自分の人生。それが、「私も人を愛していいんだ」「人の役に立てるんだ」と、全肯定できたのです。 

すると、まず湧き上がったのが、夫への感謝でした。私が自己否定や愚痴っぽいことを言っても、優しく支え続けてくれた夫に、いとおしさが込み上げてきたのです。せめて手料理で喜んでもらいたいと、これまで以上に愛情を込めて作るようになりました。また、私自身、人と心が通い合わない寂しさが分かるので、周りの人たちにも、優しく、親身に…と思いを込めた関わりを。いつの間にか、人の言葉をマイナスに捉えなくなり、以前の私では有り得ない変化に、自分でも驚いています。 

愛情をたっぷり伝えられる親に

実は、母も、父方の祖母も、生前、「親に愛情をかけてもらえずに育った」と語っていました。もし、この神に出会わなければ、私も「親子の関わりが薄い」悲しみを、いつまでも引きずって生きていたでしょう。それが、母の魂に、「お母さんのおかげで、仕合せです。家族と仲良く、人とも明るく関わって生きているから安心して」と感謝を伝える毎日が送れるとは…。親から子孫へとつながる「心の道」が、太く、温かいものへ高まったことに、大きなお守りを感じます。我が子には、一緒に生きている今、これまで以上に親の愛を伝えたい。私の代で、悪いものを断ち切り、より良いものを残せるように努めます。 

親と子は
  共に「心の道」を歩み
   共に別れを迎え
     縁を深めてゆくもの(存在)
出会いを思い
  互いの心に残るもの(力)が
            「真実の愛」
「教え」のある家庭に
     人は真実の愛を知り
   我が「心の道」に良き因を残す
              人が育つ

(平成30年6月24日)