No. 1885

「形」ばかりを見ていた私
視野が広がり、心が楽に

(大分県MG/70代女性/主婦) 

私は、「信号を無視する人は許せない!」と思うタイプ。道を歩いていても、「あんなことしてる!」「どうして、こうできんのやろ」。正義感が強く、人の間違いが気になって仕方ありません。責める心が込み上げて、すぐに批判、否定していました。 

自分にない感じ方にハッとして

ある時、偉光会館で、自分にはない感じ方にハッとしたことが。相手の理不尽な態度を、「心配事があったのかも」と受け止めた人がいて、心の広さに感動したのです。 

母と暮らしている義妹の言葉を思い出しました。「私が、身の回りのことをしてあげるのは簡単だけど、何もできなくなったら、お母さんがかわいそう。いつまでも元気でいてほしい」。自分があれこれしてあげたいと思う分、人にも「もっと」と求めがちな私。言動の裏にある「心」が、ちっとも見えていませんでした。 

母が愚痴をこぼしたときも、「それは違う」「もっと感謝しなきゃいけないよ」。つい“こうあるべき”を当てはめていました。でも、母にしてみれば、ただ気持ちを聞いてもらいたかっただけ。「それだけでいいんよ」と言われた時は、自分がどれだけ偉そうだったか、身につまされました。 

「心」に目を向ける努力を

人の言動など、表面だけに目を向けるのではなく、「人の心を感じ取れる、愛深い人になりたい」と、心底思いました。言い伏せるのをやめて、相手の気持ちに寄り添いながら、話に耳を傾ける。それを意識し、母の話も、まずは「そうだったの」「本当だね」と受け止める。時に、「心配事ない?」などと尋ねながら会話していくと、愚痴が減っていきました。それどころか、自分から、「ここを直さんといけんね」などと言うのです。93歳になっても心を磨こうとする姿に、ますます尊敬の思いが膨らみました。 

弟夫婦に対しても、母を病院に連れていってくれた、好物を作ってくれた…という「形」でなく、その奥にある「心」が感じられるように。遠方に住む姉のことも、頻繁に来られない分、電話や手紙で母の心を支えてくれている…と、感じ方が変化。「心」が見えたら、周りへの感謝が膨らみ、関わりがとても穏やかになりました。 

もっと「何でも話す」関係へ

息子のお嫁さんから、突然孫の世話をお願いされたときも、「急なんやな」より、焦りや心苦しい気持ちを感じ取り、「朝早くから、姑に頼み事をするのは勇気も要っただろう」と、思いやれるように。「できないときは言うから、気を遣わんでいいよ」。心からの笑顔で引き受けられます。 

とはいえ、失敗も。「時間があるから子守でもしてあげようか」と、長男の家を訪ねた時のこと。「嫁から頼まれた?」と息子に聞かれ、“きっと喜ぶだろう”は思い込みと気付いたのです。相手の心に目が向いたら、まずは会話をして、確認することも大切。お互いに分かり合うため、心の内を伝え合う。次の目標が定まりました。 

神示を軸に、生き方をより高く

神が示される、人としてのあるべき心の姿。それを学び、自分の生き方に返そうとするうちに、人を見て、心が揺れ動くことがなくなりました。そのせいか、生きることがとても楽です。周りからも、「柔らかくなった」「肩の力が抜けた」と言われます。何より、お嫁さんに「お義母さんのような生き方をしたい」と言ってもらったことが、うれしくてたまりません。失敗しても、カチンときても、神示に立ち戻れば大丈夫。これからも、自信を持って、生き方を高めていきます。 

家族で「教え」を学び
  自ら 「真理」で家族に関わる
             努力をする
 この努力が実るよう
   朝・夕「実体」の修正を神に願う
 「真実の愛」が芽吹き始め
   ますます家族に
     「真理」で関わる存在と
             成ってゆく
「真理」で関わる家庭で
  人間の実体(こころ)は磨かれ
          品格を身に付ける

(令和7年7月29日)