No. 1286

心の救いは続いていた!
「奇跡の人」と呼ばれて(続編)
(静岡県SH/60代女性/主婦)

脳出血で倒れてからの闘病生活。神の教えで病と向き合い、「奇跡の人」と言われる回復ぶりだったことを、「喜びの声」に掲載していただきました。あれから3年。後遺症はほとんどなく、医師には「どの検査で見ても、出血の跡が消えている。あり得ない」と驚かれました。 

病を機に、私の第二の人生が始まったように思います。病気の前は、何でも自分でやってしまう私でした。夫がすぐに動いてくれないと、「もういい。私がやる」の繰り返し。今は素直に頼めるようになり、夫の優しさなど、良い面がたくさん見えてきました。周りにも「あなた、血を入れ替えたみたい。ご主人の表情まで穏やかになったね」と言われるほど。しかし、私の心根には、まだまだ気付いていないことがあったのです。 

違って見えてきた夫の姿

ある時、娘からのひと言。「お父さんの親ってどんな人だったの?」。全くと言っていいほど、意識していなかったことにハッとしました。自分の両親の思い出はすらすら出てくるのに…どうして? その気持ちをそのまま祈願。ふとアルバムを開きたくなり、夫とも話をする中から少しずつ見えてきました。 

約30年前、結婚の挨拶の時に夫の両親に言われた「息子を頼みます」。心の中で「普通は『奥さんを大事にするんだぞ』でしょ」とぼやきつつも、私は無意識のうちに、「私が夫を守らなきゃ」と思うようになっていたのです。 

夫婦二人で歩む人生。「私が、私が」でなく、夫の思いを優しく受け止める私になりたい。「妻らしく生きたい」。祈願が変わるにつれ、夫の姿が違って見えてきました。真面目に働いてくれた夫に、私が「守られていた」こと。夫が実家によく足を運んでいたのも、親を大事に思う「優しさ」の表れだったことにも気付きました。 

息子家族が遊びに来ると、「私が!」と真っ先に孫に駆け寄っていましたが、「じいじが遊んでくれるよ」と言うと、孫は「遊ぼー」と夫の元へ。その様子を、息子が優しく見守っています。「私が」ではなく、「夫婦で」。この感覚を、今までおろそかにしていたのだと思います。

渋柿のような実体の私が…

人から、「ご主人の顔が穏やかになった」と言われるたび、私の関わり方に原因があったとつくづく実感。気付けて良かったと心から思います。かつて義父母に言われた「息子を頼みます」。その言葉も、「親の愛」と受け止められなかった私でした。 

今では、夫のきょうだいに向ける心まで深まり、驚くほど縁が深まってきました。信者として歩んできて40年。その昔、「口に入れたらペッとされてしまう、渋柿のような実体がある」と教えていただいた私です。そんな私が今、温かい家族に囲まれているのが大奇跡。夫婦の土台をさらに固めて、子供に孫に…、仕合せな生き方を残したいと強く思います。

※過去に掲載されたこの方の内容は、こちらからご覧いただけます。

 

「真理」に 人生の支え 気付きを得て 家族と正しく関わるなれば
    人は必ず 人生の夢 「生きる」意味が見えてくる
 夫婦の心は一つに重なり 家族の心は一つにまとまり
    「心の道」に良き因を残してゆく
 実体は ますます引き上げられて 家族の心(運命)が家族の人生を「正道」へと導く

「真理」に
  人生の支え 気付きを得て
     家族と正しく関わるなれば
  人は必ず
   人生の夢 「生きる」意味が
             見えてくる
 夫婦の心は一つに重なり
  家族の心は一つにまとまり
   「心の道」に良き因を残してゆく
 実体は ますます引き上げられて
  家族の心(運命)が
    家族の人生を「正道」へと導く

『真実の光・神示 令和4年版』33ページ