(静岡県EI/70代女性/パート)
私は、元来「してあげたい」タイプです。友人が「買い物に行きたい」と言えば車を出すし、頂き物がたくさんあれば、気持ちよくお裾分け。でも、相手の反応によっては、イラッ、ムカッ。「私ならお礼を言うのに」「何であの人は」などと、気持ちが波立つこともありました。
心の底から湧き上がった思い
そんな自分を見詰め始めたきっかけは、長男の結婚でした。夫と早くに別れて以来、女手一つで大切に育ててきた子供たち。その息子が選んだ相手を、私は、なかなか受け入れられませんでした。ショックで心因性非てんかん発作を起こし、体重も激減。涙が止まらない日々が続く中、ある時、何かにはじかれたように思いました。「このままじゃ駄目だ」と。その一心で、偉光会館に向かったのです。
月に1度、学んではいたけれど、「出席すればよし」と思っていた勉強会。“あるべき生き方”をつかもうと、臨む姿勢が変わりました。だからこそ、自らの姿が見えたのです。私の心は自分中心で、“相手の気持ち”を受け入れるゆとりがなかった…。息子夫婦にも、周りの人に対しても、です。相手を受け入れ、調和できる人になりたいと、熱い思いが込み上げました。そうした気持ちを祈願すると、自然と心が穏やかに。「ああして」「こうして」と願っていたときとはまるで違う、安心感に包まれました。
生き方を正そうと意識したら…
気持ちが落ち着くに連れて、体調も安定。自分でも驚いたことに、息子夫婦に対するわだかまりまで、きれいに流れていきました。「心が守られた」としか表現できない、不思議な感覚でした。“人としてあるべき心”を教えでつかみ、生かせるよう神に願っていけば、必ず守ってくださる。その事実を心から実感しています。
気付きを積み重ねて
以来、私は変わり続けています。息子が仕事で大変だった時期には、「自分の不安をぶつけたらいけない」「本人が『大丈夫』と言っているのだから」と、良い意味で気持ちにブレーキをかけられました。かつては心を乱していたような出来事も、まずは受け入れ、心を切り替えることが増えています。
先日は、元同僚の愚痴に付き合って、一緒に悪口を言っていた自分にハッとしました。「この心は違ってるな」。人生の仕組みを知っていれば、生き方をちゃんと正せます。気付ける喜びを大切に、本当に役立てる人を目指して、ますます心を磨いていきます。
神の教えで生きるべし
学んで生活に生かす
我が心に映すのである
自然と固さも取れて
心明るく ゆったり流れる
我の心 流れ止めずに
「今」の流れに乗ってごらん
今あるべき我が姿が見えてきて
心の不安 迷いはなくなる
(平成17年7月4日〈中略あり〉)

