人生の基になるのは、自分の「心」。この心がどういうものか、いつも神の教えで学び、よく分かっているつもりでした。おかげで、自分の感情を上手に消化できるようになり、思ったことをズバッと口に出すことはありません。しかし、一昨年、86歳の義姉が我が家に引っ越してきてから、私は自分の「心」と格闘することになったのです。
独身だった義姉は、私と夫がいても気ままな生活。昼間から銭湯に行きたいと言い出すなど、一つ一つの言動にイライラ。感情をコントロールできるはずの私が、義姉には強い言葉を普通に口にしていることに、自分で戸惑い、つらくなりました。「私、こんな性格になったのかな…」。
教えの“捉え方”が変わると…
偉光会館で信者仲間と話していて、ハッと気付きました。神の教えで家族との関わり方を学んでも、「私と義姉は血を分けた家族ではない、例外だから…」。そういう心があったのです。まずは、その「例外」と思う心を取らないといけませんでした。
夫婦で出席した「信者心の基勉強会」で、ヒントが見つかりました。「人の心を大切に」。何度も学んできた奉仕心です。私は、義姉を責めるばかりで、「大切に思う」心が欠けていました。
義姉が、自分の着物や宝飾品を出して眺めていたりすると、出てくる心は、「古い物は処分すればいいのに」。でも、姉にとっては、頑張って働いてきた証し。大切な物。そう見方が変わったのです。すると、義姉も「見てるのが好きなのよ」と、それはうれしそうに話してくれるのです。
心の底から愛が持てる自分へ
昨年から、義姉は物忘れが多くなり、要介護1に認定されました。「あなたにお金を預けた!」などと勘違いして責められることもありますが、私の心は荒れません。伝わってくる不安を受け止めながら会話していくと、義姉も落ち着くので、やっぱり自分の「心」次第…と感じます。
そんな私たちのやりとりを見て、夫が感謝の言葉を掛けてくれます。でも、感謝なのは私の方。昔は、「夫の家族と同居なんて無理」と思っていた私が、今、義姉と同居し、縁を深められているのは、神の教えで心の器を広げてもらった証拠…と思うのです。
つらい経験も人生の宝になる
そんな中でうれしかったのは、結婚50年の「光輪の儀(結婚記念の儀式)」で、息子が、「父さんや母さんの生き方、心遣いを見習って、受け継いでいきたい」と言ってくれたこと。努力してきた方向は間違ってなかった…と、胸がいっぱいになりました。
自分の「心」は、負の感情が出てしまうこともあります。でも、祈願とともに修正しようと努めると、神は、本当にその心を受け止めて、穏やかな方へお導きくださっていることを、身に染みて感じております。
日々「教え」に生きて 「人生」を家族 縁者に奉仕する
ますます「運命」は磨かれ 生きがいある人生を歩み抜ける
「教え」を「人生」の支えにできるほど 「心(人生)」の気付き 悟りが深まる
人格は高く引き上げられ いついつまでも 家族 縁者 友人 知人の心に生き続ける
「心の道」に良き因を残す人の姿が ここにある
日々「教え」に生きて
「人生」を家族 縁者に奉仕する
ますます「運命」は磨かれ
生きがいある人生を歩み抜ける
「教え」を
「人生」の支えにできるほど
「心(人生)」の気付き 悟りが
深まる
人格は高く引き上げられ
いついつまでも
家族 縁者 友人 知人の心に
生き続ける
「心の道」に良き因を残す人の姿が
ここにある
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』114ページ(中略あり)