(大分県KF/50代女性/主婦)
価値観が真逆な夫と私。好奇心旺盛で、何でも積極的に取り入れる夫と、消極的な私。あふれるほど買い求める夫に、「あるのに、まだいる?」と何度言ったことか。散々やりとりしても夫は変わらず、心がぶつかることもたびたびでした。
ようやく見えた相手の思い
夫が会社の愚痴をこぼせば、「何でそう捉えるかなぁ」「こう考えればいいのに」と否定。しまいには、「そんなことを言って、こうなったらどうするの」と、諭すように言ってしまう。それでいて、ガーッと反論されると、グッと気持ちを抑え込んで、くよくよ。「あぁ、生き方を豊かにしたい」。切実に思っていました。
ある日、ネットで買い物中の夫を見ていたら、一つの品も他と比較し、吟味し、生き生きしているのです。「そうかぁ、これが夫の楽しみ方なんだ」と感じました。私には、行動の裏にある相手の“思い”が見えていなかった。それが分かった時、「価値観は違うけど、夫を丸ごと受け止めていこう」。本心からそう思いました。
感じ方の欠けに気付いて修正へ
そんな私が、ここ1年ほど続けてきたのは、気付いた修正点を、即メモすること。読み返すと、何と同じようなことが毎月書かれていたのです。それは「相手が自分の意に沿わないと否定したくなる」「即、違う意見を言いたくなる」というもの。“ここが取り組みどころ!”と祈願。できるようになったのは、まず、“いったん受け止める”ことでした。
夫の気持ちに寄り添って
食事中、ずっとスマホを見ている夫のことも、“いったん受け止める”を意識。夫が興味を抱く思いに寄り添いたくて、一緒にのぞいてみたのです。すると、話がどんどん展開していくではないですか。そうした積み重ねに、自分の気持ちを無理矢理抑えることも、くよくよすることもなく、相手を認められる私に変わっていったのです。いつしか、夫はスマホを置いて食事をするように。二人で会話を楽しむ機会も増えました。
向き合い方を見詰めてみたら…
実は、私にとって、母や妹も価値観が真逆と感じる相手でした。外交的で、人と関わることが好きな2人。うらやましさもあり、その生き方を認めることができなかったのです。家にいる間もないほど、趣味で出回っていた母。陰で寂しい思いをしている家族の存在に、私はずっと、気付いてほしかった…。妹には、上から目線で、自分の考えを押し付けてばかり。疎遠になるのも当然でした。しかし、母や妹のことも、ありのまま受け止めたい。そんな心で2人に向き合っていきました。
自ら関わる思いが絆を深める
ある時、母の言葉から、家族に向ける愛は本物だったと感じました。そして、もっと母の思いを知りたいという気持ちになったのです。自分の向き合い方を反省し、妹とも連絡を取り合いました。やがて、妹が大事にしてきたことを、私も大事にしてあげたいと思えるまでに。相手の生き方を認めた時、溝が埋まり、心がつながったと確信。2人との関係性もガラリと変わりました。
今以上の仕合せがきっと
思えば、信者籍を置いて、もう40年。たくさんの奇跡、ご守護を頂いて今があります。長い年月を経て、少しずつ成長させていただきました。何より、後ろ向きでなく、前を向いて生きられるようになった奇跡。どんな価値観も受け止め、縁を大事にしていく日々に、今以上の仕合せな未来が待っている…。そんな希望に胸が膨らんでいます。



ただただ神の教えを学び
「教え」を通して
我が「心」を見詰めるのである
自然と我が「心の動き」安定し
全ての出会いを
「悟り」と返す我となる
我が「家」の会話が深まり 広がり
我が「家族」の心がつながってゆく
我が家に神の教えを生かして
「和心」芽吹く家(いえ)を築くべし
『真実の光・神示 平成22年版』14ページ(中略あり)


