(栃木県KA/50代女性/主婦)
「できるだけ関わりたくない。かなうなら縁を切りたい」。義父母とは最初から心が重ならず、結婚と同時に始まった同居生活は、葛藤の連続でした。その中で授かった我が子は病弱で、生まれてすぐ大病院へ転院…。そんな私たちを案ずるどころか、否定するような二人の言動に、ここで子育てはできないと思ったのです。義父母と別居後は、「無理しなくていいから」という夫の言葉に甘え、疎遠になるばかりでした。
幸い、息子は成長とともに健康に。安堵(あんど)した私は仕事を始め、そのまま月日が流れていきました。数年前には義父が他界し、義母は施設へ。「このままでいいの?」時折、胸によぎる思い。けれど、過去のわだかまりは流せず、心は苦しかったです。
どんどんほぐれていく心
昨年の春、真実の光会館の光明殿と安明殿をつなぐ、内参道が完成した頃のことです。勉強会で“家族”と聞いて、ふと、「夫の家族も“家族”なんだよね…」と気が付きました。そう感じた自分に驚きながらも、この気持ちを「夫に話したい!」と思ったのです。びっくりした様子で、「うん、うん」と話に耳を傾けてくれた夫。その姿を見て、また気が付きました。何も言わなかっただけで、ずっと心配していたはず。「相手の気持ちを知ろう」と“自分から”関わり、寄り添う姿勢。それが私には欠けていました。
その後、夫と話し合い、二人で義母の通院に付き添うことに。せっかく心が動いたのだから、やってみよう!と思ったのです。ちゃんと会うのは約10年ぶりの義母。認知症が進み、私のことは分からないながらも、声を掛けるとうなずいてくれました。順番を待つ間、3人で雲を眺めた時間の温かさは、決して忘れられません。心が穏やかに流れていって、夫の「ありがとう」がじんわりと染みました。
深まる家族の“縁”に喜びが
それからというもの、私の心はどんどん変化。多忙な夫に代わり、一人で義母を訪ねる日も出てきました。そうしたいと思ったのです。そんな気持ちが届くのか、不思議と、義母に気持ちが通じる瞬間が。夫婦の会話も増えて、「縁を深める時間をくれた、お義母さんに感謝だね」と語り合うようになりました。
そうして半年ほどたった昨年の秋。義母は静かに息を引き取りました。明魂祭(後日の葬儀)を受けて心に広がった、義父母なりに私たちを大切にしてくれていた…という新たな感謝。その気持ちは、家族の絆をさらに深めてくれたのです。
長年の苦しみも癒やされて
実は、私にはもう一つ、長年抱えてきた思いがありました。息子が幼かった頃、私に言ってくれた言葉があります。「お空から見て『あのおうちがいい』と思って来たんだよ」。いとおしさと同時に込み上げた、「健康に産んであげられなかった」という後悔。ずっと拭えなかったその思いが、儀式後、きれいに流れていったのです。自分も周りも責める生き方が、今、変わってきていることを感じます。生きているこの時に、ますます家族の“縁”を深めて、息子に良いものを残したい。私の心はすっかり前を向いています。



人間は
家庭に 生まれ 育って
人生を歩み抜く
家族の出会い 特別な関わりに
気付くべし
家族の心は
「真理」に生きれば 自然と重なり
「心」の迷いは消えて行く
家族の関わりを 正しく知って
「生きる」ところに
家庭の価値(いみ)が見えてくる
(令和7年1月23日 『友輪』344号12ページ〈中略あり〉)


