No. 1008

「孤独」の心が消えた!
自分の中に戻ってきた自信
(大分県KG/60代男性/理容師)

母を亡くし、玉納奉寿(教会葬儀)で送った2年前。独身で、きょうだいもいない私は、独りぼっちになってしまいました。

教会葬儀で味わった不思議

玉納奉寿の時、寂しさよりも、なぜか晴れやかな気持ちになったのを覚えています。職員にも、「お母さんは、心の世界で生まれ変わる日を待っていますよ。あなたが努力して、明るく生きれば、生まれてくるのが早くなりますよ」と教えてもらいました。

考えてみれば、母は神様が大好きで、熱心に教えを学んでいました。出会いを大事にしていて、相手を思う気持ちが人一倍ある人。駄目なことは、「いけないよ」と注意できる強さもありました。そんな母に近づきたい…と、思いが及んだのです。

いつもと違う心の動きが…

しかし、私は自信が持てません。言葉がうまく話せない障害があり、それで嫌な思いもたくさんしてきました。ですから、神の教えで「出会いを深める」と学び、そうしようと思う半面、「そこまでしなくても、いっか」と、気持ちの引く自分がいたのです。

そうした本心を、祈願で神に訴え続けた日々。普段は、理容師として働いていますが、ある時、店の隣にある介護施設の方々のカットやひげそりを頼まれました。この時、不思議と「これも出会いの一つ」と感じたのです。

「足腰つらくないですか」「お手洗いに行きたくなったら、遠慮なくおっしゃってくださいね」と言いたくなって、声を掛けました。「兄ちゃん、きょうはきれいにしてもらっていい日やわ」。その時、最高の喜びが込み上げたのです。

神が必ず守ってくださる確信

それからというもの、「出会いを深める」思いが自然と湧き上がるように。「いつもここに来てくださって、ありがとうございます」と、お客さまに伝えています。「ここに来るのが一番の楽しみ」と言ってくださる方もいて、もっと喜んでもらいたいと、気持ちが高まります。

最愛の母を亡くした寂しさはゼロではありません。それでも、祈願で「寂しい」と訴えている割に、心はそんなに沈んでいないことに気付きました。思えば、母を亡くしてから、ずっとそうです。神は、こうして私の心を大きくお守りくださっていたのです。

母の玉納奉寿は、私の原点。神の教えを支えに生きる決意ができました。その恩を母には返せなくても、出会いを大切にして、母に喜んでもらう生き方をしようと意欲が湧いてきます。

毎日、生きがいを味わって、喜びを感じる「心」。こういう「心」を神から頂いていることに、感謝しかありません。周りが驚くほど心が明るく、強くいられ、自分でも不思議です。

一日一日 神に「思い」預けて 「人生」歩む
 自然と心の動き「運命」に重なり 導かれて 喜び多いもの(日々)となってゆく
 一つ一つの出会いを受け入れ 感謝し 心の動きは 奉仕心に染まってゆくのである
神魂に「心」預けし人の姿は 自信にあふれ 「道」欠く心の動きは取らぬもの
    多くの出会いを得て 「生きる」楽しさ体験できる
 真の「生きがい」手にする極意が ここにある

一日一日 神に「思い」預けて
            「人生」歩む
 自然と心の動き
  「運命」に重なり 導かれて
    喜び多いもの(日々)と
             なってゆく
 一つ一つの出会いを受け入れ 感謝し
  心の動きは
    奉仕心に染まってゆくのである
神魂に「心」預けし人の姿は
  自信にあふれ
   「道」欠く心の動きは取らぬもの
  多くの出会いを得て
     「生きる」楽しさ体験できる
 真の「生きがい」手にする極意が
             ここにある

『真実の光・神示 平成23年版』23ページ(中略あり)