信心深い両親と共に、いろいろな宗教を体験してきましたが、何だか決まり事が多過ぎて、自分には合いませんでした。何よりうそ偽りなく、きれいに、真面目に生きてきたと自負する私には、「神頼み」という感覚が嫌だったのです。
そういうわけで、妻から何度神示教会の話を聞いても、私の心は全く動きませんでした。その年月は25年。ところが、4カ月前に転機が訪れました。妻に仕事の悩みを相談され、その様子が尋常でなくつらそうだったので、「ならば、一緒に祈願しようかね」と信者籍を置いたのです。
祈願で相手を動かすのは間違い!?
今思えば、あれほど嫌だった「神頼み」を知らず知らずにしていた私です。「妻の上司が何とかまっとうになってくれますように」と祈願。しかし、状況は一向に変わりません。そんな折、職員から「神がご覧になっているのは、あなたの心。相手ではなく、自分がどう生きていくか」と言われました。私の祈願は、まるでわら人形にくぎを打つようなもの。これは、誰が見ても違うだろうと大納得したのです。
「自分がどう生きていくか」これが神の教えそのものでした。実際に学んでみると、理屈に合っているし、上から目線でもないし、決まり事もありません。「自分がどう妻を支えたらいいか」まで分かり、本人の苦しさを受け止めながら、上司と話し合うように励ましていきました。妻は相当勇気が必要だったと思いますが、トップの方と誠実に向き合い、その結果、半年も悩み続けていた問題がポッと解決したのです。
自分を変えれば平和につながる
もともと私は、自分の心にうそをつかない人間です。ですから、仕事で「あの人好かん」と思えば、一切関わりませんでした。その結果、「自分で自分の人生をつまらなくしていた」と気付かせてくれたのも、神の教えです。自ら声を掛けて手伝い、逆に大変なときは支えてもらう。「和気あいあい」の心地よさを毎日味わっています。
信者になって4カ月ですが、25年も毛嫌いしていたのがうそのように、違和感が全くありません。「これでいい」と思っていた生き方が間違っていたと「気付く」。それがかなう神示教会の環境は、他のどこにもない、素晴らしいものと思います。これからの人生もいろいろ起きてくると思いますが、神の教えで、きれいに、真面目に生きていけば大丈夫と、確信が持てました。
妻より
2人で神の教えを学ぶようになってから、全てが良い方に変わっています。私自身の祈願や学びがより真剣になり、夫のどっしりとした存在感に、信頼が増しているのです。夫がずっと信者籍を置かなかったのは、私の生き方が未熟だったから…と今ではよく分かります。これからの目標は、子供たちに「お父さんとお母さんみたいになりたい」と言われる夫婦になることです。
「教え」を心(人生)の支えに生きる努力をする
自然と心(気持ち)は安定し 物 事の見方が変わる
物 事は 存在ではなく 心に映る感情が乗って見えるもの(現実)
相手 状況を変えるのではなく 自分の心を変えることが必要
「教え」に生きるほど 「心」は変わり 生活環境が好転する
「教え」を
心(人生)の支えに生きる
努力をする
自然と心(気持ち)は安定し
物 事の見方が変わる
物 事は 存在ではなく
心に映る感情が乗って
見えるもの(現実)
相手 状況を変えるのではなく
自分の心を変えることが必要
「教え」に生きるほど
「心」は変わり
生活環境が好転する
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』128ページ