長年、私が頭を悩ませてきたのは嫁姑問題でした。妻に「あなたはいつもお義母さんの味方」「私はないがしろにされてる」などと言われても、私としては全くそんなつもりはなく、常に板挟み状態でした。自分なりに双方に気を配っていたものの、状況は変わらず、むしろ夫婦仲まで悪くなり、家の中のぬくもりがなくなっていました。
妻を何とか納得させよう、母を何とかなだめようと奮闘していましたが、最短ルートは、自分を何とかすることだったようです。神の教えで、一番に夫婦仲から見直すことと知りました。妻は、母のことに限らず、私にトイレのふたの上げ下げ等、細かく文句を言います。私にはどうでもいいことです。「どうでもいい」と思う、その心の動きが、妻を大切にしていない証拠。リトマス試験紙のように、自分の修正点がくっきり見えてきました。
妻、母、子供たち…次々に変化
まず妻に謝りました。いたわり、感謝、思いやり、全て欠けていたと…。妻はキョトンとしていましたが、それ以来、小言を言わなくなり、私にいろいろ相談してくれます。今までは何だったのか…と思うほどの変化です。夕食のおかずまで一品増えて、食卓が豪華になりました。
そのような中、妻が、母に介護用の高級ベッドを使ってもらおうと言い出しました。そこから突然、一筋の光が差したように、妻と母の心の距離は近くなり、母がニコニコ感謝を口にすることが増えたのです。妻も、母が喜ぶ物を買ってきてくれ、接し方が前とはまるっきり変わっています。
神示によく「魂安らぐ家庭」とありますが、我が家も少しはそうなれたのでしょうか。最近、離れて住む息子たちが、やたらと顔を見せに来てくれ、家族の驚きの変化が続いています。
弱点に向き合う勇気が持てた
「相手ではなく、自分が変わる」。神の教えを分かってはいても、私はどこかで自分の非を認めたくなかったのでしょう。でも、神の教えが、目をそらしてきた私の悪いところを優しく指し示し、しかも、そこに向き合う勇気までくれたのです。
この年になると、「あなたの悪いところはここですよ」などと教えてくれる人はいません。それはすなわち、自分で自分を律しなければならないことだと、私は思っています。自分の力だけでは到底できない、勇気の要る作業が、神の教えに触れて果たせていることが、一番の感謝です。随分遠回りしましたが、やっとあるべき家庭の姿に近づいてきました。私の人生の新たなステージが始まった思いがいたします。
神の教えを我が心に生かせよ
生かすほどに 我が「人生」 生き方が変わる
感じ方 見え方が変わるゆえに 人 物との出会いが深まり
喜び多く 楽しいもの(人生)へと変わるのである
環境を変えるのでなく 我が心を変える
「悔いなき人生」 夢多く 楽しい日々歩む極意に通じる
神の教えを我が心に生かせよ
生かすほどに
我が「人生」 生き方が変わる
感じ方 見え方が変わるゆえに
人 物との出会いが深まり
喜び多く 楽しいもの(人生)へと
変わるのである
環境を変えるのでなく
我が心を変える
「悔いなき人生」
夢多く 楽しい日々歩む
極意に通じる
『真実の光・神示 平成21年版』112ページ(中略あり)