No. 860

なぜ立て続けに病気に…?
落ちた心の立て直し方
(山梨県YN/50代男性/介護士)

ある朝、いつものように介護施設で利用者さんの送迎の準備をしていると、突然手足が震え、体が動かなくなりました。病名はうつ病。休職せざるを得ませんでした。

「無意識」の怖さに気付く

それまで毎日が激務で、休憩時間もご飯を食べる間すらありません。声が掛かると、送迎、入浴介助、苦情対応…。でも、この仕事が好きだったのです。これほど一生懸命働いてきたのに、何でこんな目に遭うのか…と腑(ふ)に落ちませんでした。

その心こそが不健康…と知ったのは、療養中のことです。神の教えが「無意識の頑張り過ぎ」に気付かせてくれたのです。好きな仕事だからこそ、やりきっていた。肩書も付いて、それに応えたかった。だから、周りに「そこまでしなくても…」と言われても、とことんやる。それが正しいことと思っていた私は、人の気遣いを感じ取れず、無意識のうちに道を欠いていたのです。

神がご覧くださっているのは…

復職できた時、皆さんに温かく迎えられ、こんなに思ってくれていたのかと感謝でした。ところが、しばらくすると、右目に違和感が出始め、検査すると網膜剥離と判明。なぜ立て続けに…。再び落ち込んだ心に、今度は「精神世界を大切にする」という神の教えが染み込みました。仕事に励み、周りが認めてくれても、誰にも見えない私の心根には、「こんちくしょー」の気持ちが隠れていたからです。

というのも、ある利用者さんが自分に冷たいのです。何十分もかけて、汗だくになりながらお世話しても、「ちゃんとやって。雑」などと苦情ばかり。私の心のタンクが不満でいっぱいになっていることを、神だけはお見通しと感じた次第です。

本当は大好きなこの仕事。「皆さんに気持ちよく過ごしてほしい」初心を思い返しました。その利用者さんの体に赤みがあれば、「痛そうだな。早く治るといいな」。そんな思いで薬を塗って…。数カ月たったある日、その方が「いつもありがとねー」とニコニコ言ってくださったのです。部屋から出た途端、その場に膝から倒れ込み、涙が止まりませんでした。

「生きていてよかった」の感慨

認知症の方は、今、したことも忘れてしまいます。暴言を吐かれることもあります。それでも、私が話し掛けると穏やかになったり、笑ったり。相手の表情一つで、仕合せを感じます。何げないことですが、自分のひと言で笑顔になってくれると、「きょう生きていてよかった」と思うのです。 どこに行っても、周りの人に笑って受け入れてもらえる自分が、正直とてもうれしいです。謙虚に、誠実に、そして良い意味でほどほどに。これを絶対に守って、後悔しない人生を送りたいと思います。

「教え」を人生の支えに生きるほど 人間は 心安定し 奉仕に「生きる」思いが深まる
 精神世界の真実に気付き 「生きる」意味が見えてくる
 人 物に心で触れ 感動し 「真実の愛」に生きられる
 この時 人間は 心と体が調和して 「生きる」自信が持てている
 この人間の心(姿)を 真の健康という

「教え」を人生の支えに生きるほど
  人間は 心安定し
    奉仕に「生きる」思いが深まる
 精神世界の真実に気付き
    「生きる」意味が見えてくる
 人 物に心で触れ 感動し
    「真実の愛」に生きられる
 この時 人間は 心と体が調和して
    「生きる」自信が持てている
 この人間の心(姿)を
    真の健康という

『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』14ページ