子供の頃から、私の周りにいるのはうそつきばかり。「やる」と言ったのにやらない人。うやむやにする人。有言実行タイプの私には、その感覚が理解できませんでした。自分以外の人間は、みんな裏切り者。表面的な関わりしかしてこなかったため、同級生の顔も名前も、ほとんど覚えていません。一人でいても全く寂しくないし、むしろ、その方が楽しい。私にとって、人間関係ほど邪魔なものはなかったのです。
好奇心で実践してみた神の教え
それでも、勉強会に通うようになって、その生き方が違っていた、いや「大きく」違っていたことに気付き始めました。私が相手を嫌いなら、その心が伝わって、相手も私が嫌いなはず。じゃあ、もし、私が「嫌」と思わないで相手を見たらどうなる? 好奇心は大盛りな私です。相手の「嫌じゃないところ」に気付ける自分になりたいと、真剣に祈願するようになりました。
面倒くさい人が、意外と協力的だったり、好意的だったり。「人間って嫌じゃないな」と感じる場面が増えていきました。職場でたくさんの人に感謝される、サプライズでプレゼントをもらう…。自ら閉ざしてきた扉を開けると、こんなにもすてきな世界が広がっているのかと驚きました。
相手の心が感じ取れて
若い頃から悩まない性格でしたが、それは嫌な人を徹底的に排除してきたから。でも今は、そんなことをしなくても、不思議と悩まない私がいます。
直売所で野菜を売る仕事をしている中で、一人、私に嫌な態度を取る方がいます。でも、その方はご高齢なので、力仕事は私の出番。そんな心になりました。「ここまでやっておきましたが、よかったですか?」などと声を掛けていたら、今、すごくかわいがってくださるのです。取れたきのこをたくさん持ってきて、私に「食べな~」と渡してくれる、その心がうれしいです。
病気、事故・災難が起こらない
私にとっての嫌な人が一人、また一人と減っていき、それに比例するかのように、毎日が楽しくなってきました。一人でいる楽しさではなく、人と関わる楽しさです。周りにどれだけ支えてもらって、今の自分があるのか…。そういうことも考えるようになりました。
これもまた不思議な話ですが、若い頃は毎年のように病気や大きな事故に見舞われていたのに、今は全くなく、風邪すらも数十年ひいていません。きっと、自分の心の在り方が、病気や事故を引き寄せていたものと思います。
とはいえ、心の芯には、人と関わるのを好まない自分がいるのも確かです。だからこそ、心が孤独な方に向かわないように。自分と触れた人に「楽しい」「面白い」と思ってもらえるように。祈願で神の応援を頂きながら、努力しています。
「教え」を学び 「心」の動きに生かす努力をする
そこに 「運命」の力が引き出され 人との出会いが生きてくる
人は 一人では生きられない
縁を頂き 互いの力(運命)を重ねるところに 「生きる」喜びを味わえる
「教え」を学び
「心」の動きに生かす努力をする
そこに 「運命」の力が引き出され
人との出会いが生きてくる
人は 一人では生きられない
縁を頂き
互いの力(運命)を重ねるところに
「生きる」喜びを味わえる
『真実の光・神示 平成30年版』155ページ