No. 601

亡き母が導いてくれた
神に守られて歩む人生
(京都府AM/60代男性/無職)

いつも独りぼっちの人生。友人と遊んだ記憶はありません。黙って座っているだけなのに、「偉そうだ」などと悪口を言われ、卒業してからは、家にこもるようになりました。しばらくして仕事を始めたものの、どこに行っても長続きしませんでした。

悔いなく過ごせた母との時間

父が亡くなってからは、母と二人暮らしになりました。神と出会って変わった母を、私は間近で見てきました。父とはけんかばかりだったのに、それがなくなり、最期まで本当によく尽くしていたのです。「自分も母を安心させたい。悲しませたら駄目だな」と思いつつ、「人が苦手」という心はどうしても取れませんでした。

それでも、母を連れて神の館に行くと、職員や地域の方が声を掛けてくれ、少しずつ挨拶を交わせるようになりました。変わり始めた私を見て、母は本当にうれしそうでした。ところが、その矢先、誤嚥(ごえん)性肺炎で倒れたのです。意識は回復したものの、言葉が話せなくなりました。でも、母は明るさを忘れません。「早く元気になって、家に帰ろう」と話し掛けると、「うんうん」と笑います。私が、病院の方と「お世話になります」などとやりとりしているのを、ニコニコしながら見ていました。

離れて暮らす姉や母の友人も、本当によく支えてくれました。「自分には頼る人などいない」と思っていた私にとって、初めて味わう安心感でした。母も驚くほどの回復ぶりで、筆談で「○○が食べたい」と、あれこれ頼んできます。文字であっても、母の思いを知れることがうれしくて、ありがたくて、できることは何でもしました。そして3カ月後、安らかに旅立ったのです。

自分がつくり出していた孤独

家では独りぼっちでも、心は寂しくありません。朝は、神に「人と仲良く過ごせるように」と願い、一日がスタートします。畑仕事をしていますが、作った物を皆さんに差し上げたり、頂いたりの交流が楽しいです。ご近所で交わす「暑いですね」「体に気を付けて」のやりとりにも心が和みます。先日、叔母に採れたての野菜で作った煮物を届けると、「私より上手だわ」と喜んでくれました。「あんた、ほんまに変わったな」。この言葉もうれしかったです。

昔の自分は、少しでも気に入らないことがあれば、平気で人を無視したりしていました。その冷たい心が相手に伝わり、そっくりそのまま自分に返ってきて、独りぼっちになっていたのです。自分がつくり出していた孤独の人生。神の教えを学ぶようになって、やっと気付けました。

母の月命日は15日。その日は、必ず神の館に参拝しています。「行きたいなあ」と気持ちが吸い寄せられて、気付くとご神前にいるのです。「頑張ってるね」と、母が喜んでくれている気がします。まだまだこれからの人生、してもらったことをきちんと返せる、縁を大事にできる自分になるのが目標です。

神示で確認 「喜び」の仕組み

命ある今を「生きる」――楽しき時と気付いてほしい
「教え」を学び 人 物との出会いを生かせる人を目指せよ
 学ぶほど 心は安定し
    人 物の心(運命)を 素直に受け止め 引き出せる人となってゆく
 心に映るものは 互いの心(存在)が「生きる」 関わり 触れ合い

『真実の光・神示 平成30年版』104ページ(中略あり)

神示で確認 「喜び」の仕組み

命ある今を「生きる」――
    楽しき時と気付いてほしい
「教え」を学び
  人 物との出会いを
    生かせる人を目指せよ
 学ぶほど 心は安定し
  人 物の心(運命)を
    素直に受け止め
      引き出せる人となってゆく
 心に映るものは
    互いの心(存在)が「生きる」
      関わり 触れ合い

『真実の光・神示 平成30年版』104ページ(中略あり)