(山形県AT/60代女性/パート)
10年以上、東京で一人暮らしをしていた長女が、適応障害になり、戻ってきました。「山形を離れたい」と、大学進学で家を出て以来、大きな決め事も、最後は娘一人で決断。東京での就職を決めた時も、ワーキングホリデーでカナダへ旅立つ時も、いつも事後報告。それが、私たちの親子関係だったのです。
療養中、早く仕事に就かなきゃ…と焦る娘。夫と共に、まずは体が第一。働き口を探すにしても、地元の方が応援できると伝えてきました。しかし、そんな親の言葉はなかなか娘の心に響かず、また内緒で、東京の会社の面接を組んでいたのです。「どうして話してくれないのだろう? 無理をして体調が悪化したら…」。不安とともに、心配が募りました。
娘が話さない理由は…
そんな私の気付きのきっかけとなったのが、神の実在体験談でした。抱えている問題も、家庭環境も人それぞれ。けれど、不思議な共通点があったのです。それは、まず「自分が変わろう」と努力をしていること。そして、「相手の話を聞く」ところから、家族関係が好転していること。その事実にハッとしました。
私はどうだろう? 自分の根底に見えたのは、「心配性」な性格。娘に何かあったら大変!と、起きてもないのに、物事を悪い方へ考えてしまうのです。そばにいれば、助けてあげられる。遠くにいては、何もできない。そんな価値観にとらわれていた「自分」が見えました。娘には、それが“押し付け”になっていたのでは…。「お母さんに話しても、『親元を離れては駄目』と反対するに決まっている」。娘の沈黙の理由に、たどり着いた思いでした。
話を最後まで聞けるように
この自分を変えれば、良くなっていくに違いない。そう信じて、娘の話を聞くことから実践しました。ところが、生来の性格の修正は、手ごわいもの。つい心配で、口を挟んでしまうのです。「お母さん、とにかく最後まで聞いて!」と言われては、反省する日々。その都度、温かい関心を持って聞ける自分に…と祈願しながら向き合うと、少しずつ娘の言葉に耳を傾け、共感できるようになっていきました。
そんなある日のこと。娘が、ぽつりぽつりと心の内を話してくれたのです。「働かないと、収入がないから心配」「結婚して、子供もいる友人と比べるとつらい」…。どれも初めて聞く、娘の本心でした。その思いを夫と分かち合い、そして二人で伝えました。「まず、できることから一つずつやってみたら」「あなたには良いところがたくさんあるから、きっとすてきな出会いがあるよ」と。以前なら、反発されたと思います。それなのに、素直に受け止めてくれたのです。親子の間に、温かい対話が生まれた瞬間でした。
消え去った心配な思い
「近場でも探してみようかな」と娘が言い始めたのは、その頃でした。派遣会社に登録したところ、次々と声が掛かり、どんどん明るい表情へ。そして、語学力を生かせる職場に就職が決まったのです。苦しんでいた心の病も、通院を迷うくらいまでに回復。今、生き生きと働いていて、帰宅すると、その日の出来事を楽しそうに話してくれます。時には、愚痴のような話もありますが、まず受け止めて、夫婦でアドバイス。今までの我が家には、なかった光景です。
何より、私の心に「心配」がないのです。どんなことがあっても、親子は、心でつながり、いくらでも応援できる。距離の遠い近いではないと、ようやくつかめました。神の教えから気付かなければ、心配だから近くにいて…と、自分の価値観で縛り付けて、親子の縁は薄いままだったでしょう。これからも、心が通い合う温かい会話を大切に、家族の絆を深めていきます。



運命・実体に
「心」導かれて生きる人間は
「教え」に生きて
「実体」を高めるほど
喜び多く
生きがいにあふれた人生を
歩み抜ける
「真理(おしえ)」を
人生の支えに 生きるべし
自然と 心は安定し
正しく関わる思いが芽吹く
今日(いま)を「生きる」環境も
優しく見えて 好転してゆく
『真実の光・神示 令和6年版』92ページ(中略あり)


