複雑な家庭環境で過ごした幼少時代。父は3回も結婚していて、私の上にいるのは腹違いの姉と兄。子供ながらに、母が苦労しているのを感じていました。何とかうまくやろうと兄と姉に気を使い、何事も自分の中で完結。親からは、よく「この子は手が掛からん。ほたっちょってもいい」と言われたものです。
誰かが泣くと泣けなくなる。腹が立っても、ぐっとこらえて我慢。環境で身に付いた心の癖は、大人になってもそう簡単には取れません。「私はこう思う」と人に言えないのです。でも、本当は誰かに気持ちを聞いてもらいたい、寂しい…。信者になって、神の教えを学ぶようになってからも、奥底にはそのような思いを抱えていました。
神にも本心を隠していた私
しかも、最近は、独立した長男が神に心を向けなくなっていたのも苦しかったです。私に何が足りないのか? 見えそうで見えない答え。心に霧がかかったようでした。
その霧を晴らしてくれたのが、「喜びの声」でした。私は「本音が言えない」というより、そういう自分から目を背け続けてきた…と分かったのです。だから、神にも本音を語ることができていませんでした。
別の日に読んだ「喜びの声」では、「妻の役目は、夫の心に寄り添うこと」という部分にハッとしました。私は夫を責めてばかり。「夫は?」と考えてみました。私が何を頼んでも嫌な顔一つしないし、話を否定しない。「夫は、私の全てを受け入れてくれていた」その事実が、心に染みてきました。
気持ちに寄り添いながら
夫への気持ちが変わってきた頃、突然、長男から連絡が。「仕事の人間関係で悩んでいる」と打ち明けてきたのです。何でも一人で解決して、事後報告ばかりだった過去を思うと、考えられないことです。
話をじっくり聞きながら、「息子の心を感じ取りたい」と、必死に祈願する私がいました。「あなたは私たちの大切な息子」「どんなことがあっても支えるよ」と、考えるより先に言葉が出ていました。「私の本音が言えた」と実感できたのです。
どんどん前向きになる息子
息子の心が動いた瞬間でした。「偉光会館に行く」と言い、神の教えを学んだ後は、さらに前向きに。職場の問題も少しずつ解決していきました。今の長男は、毎週、勉強会で学び、毎月、私と夫を食事に誘ってくれて、まるで別人のよう。会うなり、せきを切ったように生き生き話す姿がうれしくて! 「すごいやん!」「ありがたいなあ」と会話が弾む我が家です。
娘が、「お兄ちゃんは、ずっと心のシャッターを下ろしてたのにすごいなあ!!」「昔のようにみんなが一つになれてる。本来の我が家に戻ったね」と言ってくれました。これまで味わったことのなかった心の軽さ、爽快さ、安心感。それを今、家族と過ごす中で味わっています。
「真理」を学び 教えを我が家に生かすなら
自然と家族の思いが重なり合って 「心(魂)」安らぐ家と生(な)る
我が身(人生)の分 立場をよく悟り 家族に我が「思い」を語るべし
この思い(信念)が深まるほどに 家族の心(愛)が見えてきて
「生きがい」手にする人(人生)と成る
「真理」を学び
教えを我が家に生かすなら
自然と家族の思いが重なり合って
「心(魂)」安らぐ家と生(な)る
我が身(人生)の分 立場をよく悟り
家族に我が「思い」を語るべし
この思い(信念)が深まるほどに
家族の心(愛)が見えてきて
「生きがい」手にする
人(人生)と成る
『真実の光・神示 平成25年版』11ページ(中略あり)