(宮城県HS/60代男性/料理店店主)
子供の頃から、父との関係に悩み続けてきました。父は、何にでも文句ばかりで、母をいじめているとしか思えませんでした。家族は時に黙り込み、怒鳴り合い、泣くことも日常茶飯事。私自身、大人になってからも、顔を合わせば怒られました。例えば、掃除一つも、「これじゃ駄目だ」「もっとこうしろ」の一点張り。私がどんなに念入りにしても、父は文句を言ってやり直す。結婚後は、私の妻や子供たちも、どれほど苦労したか知れません。神の教えを学び始めると、父の言動を、少しはおおらかに受け止められるようになったものの、嫌う気持ちは取れないままでした。
思いがけない父の愛を感じて
その父が、2年前に他界。葬儀で、叔父がしてくれた話は驚きでした。「おじいちゃんが、煙突掃除で落ちて動けない体になってから、おまえの父さんが農家を継いでくれた。馬を引き、肥料を運び、大黒柱として頑張った。本当に苦労したんだよ」。私が知っているのは、酒を飲み、人とうまくいかず、母に苦労を掛けている父の姿です。でも、「家のために一生懸命だった父がいたんだ」と思った瞬間、長年のわだかまりが流れていきました。
振り返ってみると、自宅や、夫婦で営む料理店がきれいなのは、父が掃除のやり方を口うるさく教えてくれたから。父なりの愛情だったのかもしれません。「その気持ちを感じ取れていれば、もっと違う関わり方ができただろうに…。自分勝手な見方をして、ごめんなさい」。後悔と同時に湧き上がったのが、「子供に同じ思いをさせてはいけない」という気持ち。そこから、真剣に、神の教えを学ぶようになったのです。
「変わりたい」と強く決意
見えてきたのは、父に似た自分の感じ方でした。気に障ると文句を言う父と、黙り込む私。表現は違っても、根っこはそっくり。家族が良かれと思って言ってくれた言葉も、指示された、命令されたと受け取って、ムカつきが抑えられずにプイッ。「何かあった?」と聞かれても、「別に!」。何日も口を利かず、店を休むことさえあったのです。今のままではいけない。変わりたい。自分の性格を直したい。本気で、そう思いました。
最初は会話がぎこちなく、気恥ずかしさもありました。でも、ある日、妻に伝えたのです。「俺は変わりたい。子供たちに、絶対に悪いものを残したくないんだ」と。「一緒に頑張ろう」と受け止めてくれたことが、大きな支えになりました。“温かい関心を持って、人の話を聞ける自分になりたい”一心で、祈願しながら耳を傾けていくと、「そう考えていたのか」と、相手の気持ちが見えてきます。その上で、「それはつらかったね」と共感したり、「分かってあげられなくて、悪かった」と思いを伝えたり。努力のかいあって、相手がどんどん安心した表情に変わっていったのです。やがて、夫婦で、何でも語り合えるまでになりました。
家庭の雰囲気がガラリと変化
うれしいことに、子供たちからは、「お父さん、話しやすくなったね」「顔が明るくなった」と言ってもらっています。父との関係を糧に、息子や娘と分かり合えている手応え。高めた生き方を、子や孫につないでいけることに、希望が膨らみます。妻にも、「常に穏やかでいてくれるから、本音が言える」と喜ばれています。「今までの私は何だったのだろう」と思うくらい穏やかでいられるのが、自分でも不思議。これも、神の教えを学び、祈願できるおかげです。
結婚して41年。妻は、どんな時も、私の隣で歩いてくれた、掛け替えのない存在です。神の教えがあったから、できないながらも、「妻に寄り添おう。夫婦で気持ちを重ねよう」と心掛けてくることができました。年を重ね、腰や膝に痛みも出てきましたが、妻や子供たちの支えがあればこそ、店を続けられています。「料理は、心で作り、心で食べていただく」がモットーの私にとって、お客さまの「おいしい」は何よりの喜び。これからも、妻子の声に耳を傾けながら、家族の縁を深め、ますます居心地の良い店にしてまいります。
信者は 神示「真理」を学び
「真理」で正しく関わる家庭を築く
これがかなうほど
家族の実体は修正されて
「心の道」を太くする
「真理」に生きる家庭に
人間の実体は磨かれ
「正道」をゆく存在と成って行く
ますます 運命の力が引き出され
多くの出会いに支えられる
人生が始まる
常に「運命」の力を社会に奉仕し
良き因を「心の道」に残してゆく
(令和5年7月23日〈中略あり〉)

