(北海道EM/50代女性/無職)
19歳で結婚し、2度目の離婚後に出産。娘はすくすく成長したものの、生活は常に不安定。なぜかと言えば、仕事をずっと転々としてきたから。人と関わるのがとても苦手で、苦しくなるのです。どんなに愛をかけられても悪い方に受け止め、素直になれません。注意されれば反発し、妹のようにかわいがってくれた先輩まで、「余計なことしないで!」と拒絶。裏切ってしまいました。自ら人間関係を壊し、居場所をなくして辞めてしまう…。その繰り返しに、経済的にも、精神的にもゆとりを失い、いらついて、愚痴や不満をこぼす日々。娘ともけんかが絶えず、賭け事にはまったことさえあったのです。そんな自分をどうすることもできず、苦しくてたまりませんでした。
学んで見えた「染み付いた心」
現状を見かねた叔母の誘いで偉光会館へ。神の教えを学んで見えたのは、自分の中にある、人への不信感でした。生後間もなく養父母に引き取られ、「もらわれてきた子」と聞かされ続けた私。育ててもらった感謝はあっても、拭えない寂しさを抱えていたのです。結婚しても、家庭を顧みない伴侶に悩まされ、仕合せは遠いまま。「どうして私だけ…」。人を信じられない気持ちは深まる一方でした。それが、教えに触れるうち、「このままでは、ますます人と関わりたくなくなる。これ以上、嫌な人間になりたくない」と思い始めたのです。
性格改善の強い決意を
地元に偉光会館が開所してからは、娘と一緒に勉強会に出席。帰り道には、学んで感じたことや近況など、会話が弾みます。そんなある日、子供から駄目出しが。「お母さんは、何を言っても否定から入る」。思えば、前にも何度か言われたこのせりふ。それなのに、話してくれた娘の気持ちを察することも、変わる努力もしてきませんでした。「それだけ我の強い自分なんだ」。ようやく嫌な自分を受け止めて、今度こそ変わろうと決意。それからは、「話を否定しないで最後まで聞く。気持ちを察する。一呼吸置いて言葉を出す」ことを心掛けたのです。
そうするうちに、ちょっとした変化が。夕飯に買ってきたお弁当を用意しながら、ふと「娘はどう感じているんだろう。たまには手料理を食べたいかな」と思いやれたのです。「ごめんね。疲れちゃって、こんな物しか用意できなくて」と伝えてみると、「気にしなくていいよ」と娘。心が通い合う感覚がありました。以来、少しずつ穏やかなやりとりが増えていったのです。
相手に向ける心が変わったら…
職場でも、同僚から笑顔を褒められたり、食事に誘われたりするように。しかも、それを素直に「うれしい」と思える自分に変われました。お客さまと電話する際も、「心は笑顔で」と意識。仕事に関係ない身の上話も、否定しないで一呼吸。「ご苦労なさったのですね」と、いたわる言葉が言えるまでになりました。その後、以前の勤務先から声が掛かって、給付金受取窓口の担当に。「いつもらえるんだ!」などと、語気荒く詰め寄ってくる人もいるものの、その方の気持ちを思うと、不安で押しつぶされそうだった過去の自分と重なります。「私と話すわずかな時間だけでも、穏やかな心でいてほしい」。そう思って触れていくと、相手の口調が和らぎ、最後には、「話せて良かった」「聞いてくれてありがとう」という言葉まで。張り合いが生まれ、人と関わることへの苦手意識は、いつの間にか薄れていました。
目指すは、感謝と愛の深い自分
そんな中、遠方に嫁いだ娘から、「こっちに来て、一緒に住まない?」と連絡が。けんかざんまいだった親子関係のままだったら、決してなかったはずの誘いです。今、婿や嫁ぎ先のご両親の深い配慮に感謝しながら、引っ越し準備を進めています。
苦しみから救っていただきたい一心だった私の全てを、神は受け止め、正しい道へと導いてくださいました。心から、「信者で良かった」と思います。神の教えで生きれば、何があっても乗り越えていける自信が持てました。昔の分まで、家族、身内に愛をかけ、愛を頂ける自分へと生き方を高めていきます。
家族で「教え」を学び
「真理」で互いに声掛け
関わることを実践されよ
自然と 気持ちにゆとりが芽生え
家族との会話が増えて 深まる
ますます気持ちは安定し
周りの人の気持ちがつかめる
感謝の思いで
人・物の存在を受け入れられる時
人は皆 奉仕の心に生きている
出会いはますます深まり
互いの運命を重ね 補う
関わりが持てる
(令和4年12月23日〈中略あり〉)

