No. 1798

「完璧な人などいない」
この一言から人生が大転換

(長崎県YO/60代男性/社会福祉法人理事長) 

私は、家庭や職場で人間関係に悩み、不満や相手を責める思いをいつも抱えていました。生前の母にも素直になれず、思いやりを受け止められず、反発してばかり…。年老いた父には、食事の所作一つにもいら立ち、きつい言葉を浴びせてしまう…。そんな私にとって、偉光会館は、心にたまった曇りを拭っていける、掛け替えのない場所。神の教えから、自我の強さにも気付けました。信じて疑わなかった、「自分が“正しい”。相手が間違っている」という考え。それが、父母を窮屈にさせ、傷つけていた…。誰かを変えようとする前に、自分の心の安定を保つこと。その大切さが見えた時、肩の力がふっと抜けました。 

教えを生かすと、効果を実感

さらに、「完璧な人などいません。誰もが、補い合って生きています」という勉強会でのひと言に、強い衝撃を受けました。自分も完璧ではなく、多くの人に補ってもらっている。相手を責めてばかりいないで、思いやる生き方を身に付けたい。ようやくその考えに至ったのです。 

神の教えは、日常生活に生かしてこそ、その効果を実感できました。「おはよう」の挨拶や掃除一つも、「家族が気持ちよく過ごせるように」と心を込める。すると、妻子からも温かい言葉が返ってきて、驚くほど気持ちが良いのです。教えに触れるのが楽しくなり、「話を最後まで聞く」「何をするにも一呼吸」「感謝の心を忘れない」…。一つ一つ取り入れていきました。 

思いがけない妻の思いに触れて

ところがある日、つい父の行動にイライラして、強い言葉を掛けてしまいました。その時、妻がそっとたしなめてくれたのです。以前の私なら、聞く耳など持たなかったでしょう。けれど、一体どんな気持ちで伝えてくれたのだろう?と、ブレーキがかかりました。そこで見えてきたのは、思いも寄らない妻の気持ち。「代々親子のつながりが薄いこの家で、その連鎖を断ち切りたい。父親とも、子供とも、もっと縁を深めてほしい…」。妻の言葉に共感すると、ホッとした表情に。私の心も、す―っと穏やかになったのです。 

県外に暮らしている2人の子供は、めったに連絡してきません。貴重なその機会を捉えて、話に耳を傾けることを意識。その繰り返しに、本当に少しずつですが、確実に変わってきました。先日、息子が「小学生の運動会で一位になれなかった時、父さんに怒鳴られて、ショックだった」と打ち明けてくれました。強くなってほしいと願うあまり、こんなに傷つけていたとは…。「本当にすまなかった」。心からのわびに息子もうなずいてくれ、本音を交わせたことに、温かいものが込み上げました。 

職場でも、心を傷つけない言葉遣いを配慮。自分が変わったら、皆からの支えが頂けるように。いつの間にか、良好な人間関係に変わりました。 

夫婦、親子の縁を深めて

この間、父が「最近、おまえは優しくなったね」とポツリ。思わず涙がこぼれそうになりました。変わりたいと願い続けた私の変化が、身近な存在に伝わっていたことが、何よりうれしかったのです。亡き母には、いつも思いを届けています。「ごめん。もっといい親子関係ができればよかった…。残されたお父さんや妻子と支え合っているから安心して」と。 

身勝手できつい私の言動を、ずっと受け止めてくれた妻には、感謝に堪えません。誕生日には、「いつも明るく、家族のために気配りしてくれて、ありがとう」と素直な思いを伝えました。涙して喜んでくれた妻…。これからも、子供たちに“家族仲良く”という良いものを残せるように、夫婦で心を合わせて歩んでいきます。 

「教え」に「真理」を読み取り
    「実体」を高める努力を
           重ねていようか
 この努力が
  「正道」をゆく人生(こころ)を
               育てる
 仏の道 人の道を
       合わせて通すことで
              人生は
     神の手の中 大きく守られる
 家族との心は
   ますます重なり 愛情でつながる
 社会との関わりも深まり
     多くの協調 協力が得られる

令和7年7月15日 『友輪』345号18ページ