No. 988

事故が“災難”ではなく
人生好転のきっかけに
(長野県MT/70代男性/パート)

ある日の帰宅途中、車を何かにぶつけた感触がありました。外に降りて確認したものの、何も見当たらず、そのまま自宅へ。ところが、サイドミラーを通行人の手にぶつけてしまったと後で分かったのです。この事故が、私の生き方を大きく変えました。

心が通い合う家族に

警察で事情を話し、家族に迎えに来てもらった時、妻も娘も、責めるどころか、「お父さん、大丈夫? 疲れたでしょう」と、温かくねぎらってくれました。安心感の中で、「自分の人生、このままじゃまずいな」という思いが湧いてきたのです。

妻と一緒に受けた教務相談で、職員に「『今から』の人生が大事」と言われました。過去には戻れない。だからこそ、「今から」できることが分かるありがたさ。どんなことも家族に話して、被害者の方にも誠実に関わっていかなくては…と思いました。

今後のことを考えれば、恐怖と不安でいっぱいでしたが、妻と娘に打ち明けると「支えるから」と言ってくれ、どれほど救われたことか…。それに対し、私自身は良くないと分かっていながら、今まで家族と会話してきませんでした。だから、「今から」やっていこうと決めました。

自分からその日の出来事を話す。すると、家族も話してくれるので聞く。ささいなことなのに、そういう会話が楽しく感じられました。娘が、妻を病院に連れて行ってくれた時に「ありがとう。ご苦労さま」とメール。初めてのやりとりです。妻から「あの子が喜んでたよ」と聞き、一つ一つ、丁寧に思いを伝えていくことが、いかに大切か実感しました。

仕事は損得勘定ではない?

心が穏やかに流れ始め、被害者の方にはおわびを伝えて、示談が成立しました。考えてみると、事故を引き寄せるような不健康な心の私でした。物事の判断基準は、常に「損」か「得」か。仕事でも、ようやく採用してもらった職場なのに、「パートだから」と本腰を入れず、「人の仕事をやってもお金にはならないから」と、自分のことだけやっておしまいだったのです。

「今から」何ができるか考えたら、いろいろ見つかりました。手が空いたとき、「何か手伝おうか?」と声を掛けて、「これお願い」と頼られる喜び。苦手と思っていた人とも、いつの間にかスムーズにやりとりできています。損得など考える暇もないほど充実していて、気持ちがいいです。この心の変化には自分でもびっくりで、神のお力としか考えられません。

さらにうれしいことに、これまで仕事をしていなかった娘が働き始めたのです。神の教えで「気付ける」ということが、ここまで人生を好転させるのだと思い知りました。「信者でいるだけじゃ駄目。教えを学ばないと駄目だよ」と過去の自分に伝えたいくらい、感謝と感動を深めています。

「教え」を家族で学び 「真理」で触れ合う家庭をつくる 努力を重ねる
 自然と家族の心(運命)は重なり始め 「実体」は高く引き上げられる
 「六つの花びら」咲き始め 事故 災難 病気から離れてゆく
「真理」が「人生」の支えとなり 「運命」に導かれた人生が始まってゆく
 人間は 運命に重なる人生を 意識して生活するところに
    環境は好転し 喜び多く 生きがいあふれた日々を歩んでゆける

「教え」を家族で学び
  「真理」で触れ合う家庭をつくる
            努力を重ねる
 自然と家族の心(運命)は重なり始め
    「実体」は高く引き上げられる
 「六つの花びら」咲き始め
   事故 災難 病気から離れてゆく
「真理」が「人生」の支えとなり
    「運命」に導かれた人生が
            始まってゆく
 人間は 運命に重なる人生を
    意識して生活するところに
           環境は好転し
  喜び多く 生きがいあふれた日々を
            歩んでゆける

『真実の光・神示 令和2年版』79ページ