東日本大震災の被災地で始めた、復興支援の仕事。「地域のためになれば」の一心でした。ありがたいことに、よそ者の私を受け入れていただき、いつしかニックネームで呼ばれるようになり、肌で感じる周囲の期待。成果を出すほど増える仕事量。大きなプロジェクトのスタート…。頑張りたい気持ちに反し、先に体が悲鳴を上げました。せきが止まらず、簡単に高熱が出て、馬力の必要な仕事ができなくなったのです。
私は、教会の十教訓の一つ、「責任を果たせよ。重荷を負うな」を思い出していました。果たすべき責任が、どれも重荷になってしまっている…。とはいえ、自分の代わりがいない中で、責任と重荷の折り合いをどうつければいいか、分かりませんでした。
自分ではなく周りを生かす
一時療養することになりました。その間に読み返した十教訓。「妥協に進めよ」「欲に走るな。時期を待て」「身勝手な行動を取るな。相手にも自由を与えよ」…。どれもこれもドキッとしました。
私が一心に願うのは、地域の復興。しかし、仕事の進め方は自分流。頼られるがままに仕事を引き受けたのは、必要とされ、評価されることがうれしかったからです。自分が「こうしたい」なら、相手にも違う「こうしたい」があって当たり前。この仕事を進めることで「周りが」どう感じるか…など、考えが及ばなかったのです。そうした考え方のクセに気付き、受け入れられた時、不思議と重荷が取れたように、心が軽くなりました。
その後、仕事に復帰し、体調に合わせて、調査やレポートのまとめなど、後方支援に徹していきました。大きなプロジェクトで前面に出たのは、私ではなく、地元の大学や市役所、企業の方々です。結果的に大成功で、それは「地域みんなのプロジェクト」の立ち位置に変わり、復興支援にも貢献できたのです。
間違いを受け入れて修正
一生懸命に努力し、その結果、心身の限界を超えて、周りの皆さんに心配を掛けてしまう自分の実体。単なる独り善がりのおせっかいだったのではないのか…。十教訓を読む中で、そういうところにも思いが及ぶようになりました。
自分のここが間違っていた…と、「素直に」受け入れられる。こういう心の動きが取れるところが、神の教えの素晴らしさと思います。ともすると自分中心になりがちな私にとって、十教訓は、心を正しい位置に置き直してくれる大切な教え。まるで神が「あなたの生き方はどう?」と、一つ一つ問い掛けてくださっているようです。こうして日々神の教えに触れられること自体、救われ続けている証し。心から感謝が込み上げます。
仕事とは 人 物 全ての存在が 重なり合って生み出す力(環境)をいう
「教え」を人生の支えにして 関わりを深める努力をする
「道」欠き 外す心の動きは慎み 協力 協調する動きを取る
自然と互いの運命が重なり 補い合って 調和して「生きる」環境を生む
そこに 仕事の成果も大きく上がり 家族 縁者 友人 知人の心も重なり合って
喜び多く 生きがいにあふれた人生を歩んでゆける
仕事とは
人 物 全ての存在が
重なり合って
生み出す力(環境)をいう
「教え」を人生の支えにして
関わりを深める努力をする
「道」欠き 外す心の動きは慎み
協力 協調する動きを取る
自然と互いの運命が
重なり 補い合って
調和して「生きる」環境を生む
そこに 仕事の成果も大きく上がり
家族 縁者 友人 知人の心も
重なり合って
喜び多く 生きがいにあふれた
人生を歩んでゆける
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』15ページ(中略あり)