(神奈川県MM/60代女性/主婦)
10歳まで、祖母に育てられた私。その後、暮らした両親との生活は、一緒に食卓を囲んだ記憶もないほど、寂しいものでした。父はささいなことで不機嫌になり、プチ家出をしては、母が連れ戻す。年中、嵐を巻き起こす父のことも、両親のやりとりも、嫌でたまらなかった。「ここに仕合せはない。早く外で仕合せを探さないと…」。ずっとこの思いを秘めてきたのです。
仕合せを得るヒントが教えに
私が結婚し、娘の育児に追われていた頃、父が脳出血で半身まひに。在宅介護が始まりました。しかも、母もがんで療養中。そんなある日、夫が突然、帰ってこなくなったのです。後日、家族への思いは全くないと聞きました。あれほど求めた仕合せが逃げていった…。苦しい気持ちを抱え、真剣に神の教えを学びました。気付いたのは、仕合せを得るために欠かせない心。「人生を、明るく、肯定して生きていく」「心豊かに、愛ある人になる」。どれも、私にはないものでした。
それでも、祈願で心を立て直せたおかげで、少しずつ親子の縁が深まっていきました。ある日、母が言ってくれたのです。「子育てはやり直せないけれど、今からでも私にできることを精いっぱいするから、許してね」。そのひと言で、「分かり合えっこない」というわだかまりがきれいに消え去りました。だから、病身の母に、心から寄り添うことができたのです。触れたことなどなかった母の体を拭いたり、さすったり。「大丈夫?」「何、食べたい?」。母を思いやる言葉一つも、教えを知らなければ掛けられなかったと思います。約束どおり、精いっぱい私のために生き抜いてくれた母。それは穏やかに旅立ちました。
父と必死に向き合って
その後、始まった父との暮らし。気持ちの揺れる日が、どれほどあったか知れません。つらくなるたび神の館へ。母が眠る偉光郷に行き、「お母さん、心配だよね。でも、頑張るからね」と伝え、心を奮い立たせたこともあったのです。
そうして年月がたつごとに、父との摩擦は減っていきました。しばらくすると、在宅介護が困難になり、福祉施設と病院を行ったり来たりする生活に。その頃、食事の介助をする私に、父がひと言。「おまえが食べさせてくれると、おいしく感じるよ」。聞いたこともない褒め言葉でした。さらに、驚くことを話してくれました。「昔は、玄関を出たら、家族のことなど忘れていた。それが、最近は、何をしてるかな、どうしてるだろうと思うよ。こんな気持ちになれたのは、おまえのおかげ」。神と出会っていなければ、とっくにバラバラだった我が家。こうして心が通い合う日が来るなんて…。感謝があふれました。
それからも、わがままを言われたし、けんかもしました。でも、確かに感じた心の絆。「おまえと話しているのが一番仕合せ」とまで言ってもらい、本当の親子になれた喜びに包まれました。娘も交えて、「こんな心になれてうれしいね。信者で良かったね」と、笑って話せるまでになったのです。
やっとつないだ家族の縁を娘へ
「大変なこともいっぱいあったけれど、私のたった一人のお父さん」。父を心から大切に思い、感謝の気持ちで送れたことが、どれほど大きな奇跡か…。「父母のおかげで、今の自分がいる。夫がいない分、大勢の人たちが支えてくれる」。いつからか、自分の人生を肯定できるようにもなりました。
娘は、「ママはすごい!」と、諦めずに親に関わり続けた私を認めてくれました。今後、心の世界で見守ってくれている両親に、安心してもらえるように…。家族の縁を大切にしていきます。そして、豊かで、愛深い生き方を、娘につないでいきたいと思います。



家庭の価値を正しくつかんだ人間は
必ず家族に愛情を向ける
そこに 自然と家族の関わりが深まり
「真理」を 家族が求め始める
――仕合せの基は 和のある家庭――
家族で「教え」を学ぶほど
家族の心は安定し
互いに声掛け 愛情が育つ
家族の心をつなぐ愛情が
家族の実体を高め
「心の道」を太くしてゆく
『真実の光・神示 令和6年版』90ページ(中略あり)


