結婚13年目にして授かった娘。かわいくて仕方ない一方、妻との仲は、子供が生まれてからギクシャクし始めました。
私は、出産前から家事を一通り教わり、妻のためにと自分の時間を削って、せっせと手伝ってきました。それなのに、妻は「やってくれるのはありがたいけど、自分ができてないのが苦しい」と涙ぐみます。おまけに、言葉が話せるようになった娘には、「パパ嫌や。ママがいい」と避けられるようになってしまいました。
原因は思いも寄らぬところに…
こんなに家族に奉仕しているのに、逆効果になる理由。まさか自分の「心」が原因だったとは、神の教えを学ばなければ気付けなかったと思います。掃除しているときの私の「心」は、「さっさと終わらせて自分の時間をつくりたい」。きれい好きな妻が、育児で疲れて家事ができないつらさがある、その気持ちを分かろうとする「心」はなかったのです。
考えてみれば、妻に相談されて、こうでしょ、ああでしょと一生懸命アドバイス。その言動も、「ただ聞いてくれるだけでいい」と思う妻の心を傷つけていました。つまり、私の奉仕は自己満足だったのです。
娘に伝わっていた「子を思う心」
「二呼吸置く」が私なりの目標になりました。一呼吸ではなく、あえて二呼吸。「こうでしょ」とパッと言わないで、話をよく聞く…ということです。ほんの少しの心掛けですが、妻から「話を聞いてくれてうれしい」と、笑顔が見られるようになったのです。それだけでなく、妻が娘に「パパはあなたのことが大好きなんだよ」とフォローしてくれることが増えていきました。
ある日、娘が、お気に入りのおもちゃをリュックに詰め込んでいました。中身を見せてもらうと、私の写真が出てきました。「宝物やで」と言われ、涙をこらえて抱き締めました。私は、娘と向き合う時間は妻より圧倒的に少ないですが、大切に思う「心」が伝わっていてうれしかったです。
見えなかった親心も見えて
そうやって少しずつ、「心」に目を向ける自分になれたことも喜びです。先日、父と話していた時、「君にも子供が授かるといいな、と思っていたんだ。かなってよかったな」と言われました。娘が生まれるまでの13年間、その思いを一切口に出さなかった父です。80歳を過ぎても子を思う「親心」が見えたようで、尊敬と感謝の念が深まりました。
家庭は心が安らぐ場だからこそ、緩みも出やすく、ある意味では、最も気を引き締めなければならない場所と思います。家族の「心」を大切に、娘のためにも良い生き方を重ねていきたい。今は、その思いを深くしています。
――人の心は生きている――
和のある家庭築くほどに 人の心は生き生きするもの
家族それぞれ 思いを語れる家庭には
心迷うも 心悩むも 苦しい思いは残らぬものなり
夫婦 親子それぞれに 立場わきまえ 思いを語り合う家に 神の心は育つのである
神の心は その家栄える力となりて 心の道に 親の思い 我が子が受け継ぐ
――人の心は生きている――
和のある家庭築くほどに
人の心は生き生きするもの
家族それぞれ 思いを語れる家庭には
心迷うも 心悩むも
苦しい思いは残らぬものなり
夫婦 親子それぞれに
立場わきまえ 思いを語り合う家に
神の心は育つのである
神の心は その家栄える力となりて
心の道に
親の思い 我が子が受け継ぐ
『真実の光・神示 平成19年版』91ページ(中略あり)