夫亡き後、一軒家で一人暮らしをしていましたが、ある日、次男夫婦に「一緒に住みたい」と言われました。「生活が大変なのかな?」と、深く考えずに快諾。娘がいない私は、お嫁さんを大切にしたいと思い、わくわくしながら同居が始まりました。
夢を持って始めた同居なのに…
ところが、想像もしていないことの連続でした。お嫁さんは心が不安定で、気に入らないことがあると物を投げ付け、大声を出し、家の中は大荒れ。子供が生まれると、症状は悪化。夫婦げんかが絶えず、次男は離婚を考えるようになったのです。
お嫁さんは、私のことも拒絶。ご飯を作っても「そんなの要らない!」「嫌い!」などと言われます。心に波があるから仕方がない…と思ったら、余計に苦しくなりました。
苦しみを生み出す正体に気付く
神の教えで見詰めた心の底の底。私は、「言葉」と「心」が裏腹でした。お嫁さんを「大事に思っているから」などと励ましつつ、心の声は「息子がかわいそう」。「同居してくれて感謝」と言いながら、心では「住まわせてあげてるのに」。心の声からあふれ出ているお嫁さんへの「責め心」。これが元凶だと気付いたのです。
責め心から出た言葉は、相手に届くはずもありません。「正してあげなくちゃ」と思ってアドバイスしたところ、「上から目線で言わないで!」と、かえって火に油を注ぐ結果になったこともありました。
子供たちに伝搬していく私の心
息子も、お嫁さんも両方苦しんでいる今の状況。「そのつらさを分かってあげられる自分になりたい」と祈願し始めました。そんな気持ちでお嫁さんを見ていると、「きちょうめんだな」などと長所も見えて、すごくいいな…と、「褒め心」が出てきたのです。息子に対しても、「できることは何でもするからね」と、どっしり受け止める度量が生まれてきました。
そんな自分の心が伝搬したのだと思います。お嫁さんの様子が少しずつ変わってきました。激しい言動がなくなって、優しい表情が戻ってきたのです。次男は離婚を思いとどまり、夫婦で穏やかに会話する様子が、私の目に入るようになりました。
どうすることもできなかった、深い苦しみの日々。それでも仕合せをつかみたいと願い続け、努力した日々。温かな光が我が家を包み始めています。
次男夫婦は家を建て、家族で住み始めました。毎週火曜はみんなで我が家に来る日。晩ご飯を食べ、お風呂まで入って帰ります。何かするたびに「お義母さん、ごちそうさま」「きょうはありがとうございました」などと言ってくれるお嫁さんがかわいいです。みんなの心を癒やせるおばあちゃんでいたいと思う、きょうこの頃です。
「教え」を学び 「真理」に生きる努力を欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで 「分」に重なる「心」を求めて 祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい 会話も深まる
「教え」に悟りを深めることで
「和のある家庭」の姿(真実)を 家族の心は開眼(かいげん)してゆく
「教え」を学び
「真理」に生きる努力を
欠いてはいけない
「心の姿」に映るまで
「分」に重なる「心」を求めて
祈願を重ねる
自然と家族に思い(愛情)が向かい
会話も深まる
「教え」に悟りを深めることで
「和のある家庭」の姿(真実)を
家族の心は
開眼(かいげん)してゆく
『真実の光・神示 令和3年版』115ページ(中略あり)