96歳になる母は、自分のことは自分でできる元気っぷり。ただ、性格が頑固です。近頃は認知症もあって、「あの家のおばあさんは悪口ばかり言う」だの、「昔、義兄に嫌なことをされた」だの、何度も聞かされて、もうウンザリ。「そんなことないと思うよ」と言えば、即座に反論され、私もカチンとくる悪循環。神の教えとは程遠い自分が嫌で、後悔の連続でした。
妻と2人で学び始めてみると…
しかし、今年は神魂誕生20周年。何とか変わりたい思いがありました。そんな中、妻に誘われて、毎晩、『友輪』の神示を一緒に読み始めました。読み終えた後の、何とも言えない心地よさ。心にゆとりが出てきたのか、あることに気付きました。
それは、母と接するときの妻の態度です。母の苦労話が始まると、「お母さんは、文句一つ言わずに頑張ってきたんだよね。すごいね」と返す妻。「そういう見方もできなくはないか」と、えらく腑(ふ)に落ちました。「ありがとう」と、母は涙。そんなやりとりを見ていると、私も「そう言えば、昔は大変だったね。でも、お母さんはいつも優しかった。ありがとう」と、話を重ねていけたのです。
身を削って育ててくれたこと。大学まで出してくれたこと。心では思っていても、ずっと言葉に出せなかった、母への大きな感謝。それを、不思議なほど素直に伝える自分がいました。「母は頑固」と思っていましたが、素直に感謝を言えない自分も頑固だったのです。
次から次へと仕合せな出来事が
私の口から「ありがとう」や「ごめんね」が増えるほど、母の愚痴が減っています。減っただけではありません。「あの人も、私たちのことを思ってくれていたのかもね。感謝だね」と、物の見方そのものが180度変わったのです。先日、さらにビックリすることがありました。「神様はいない」と断言していた母が、「みんなで同じ神様に手を合わせていくのがいいよね」と言い出し、信者になったのです。その日の夜から3部作を読み始め、朝に夕に、家族3人で神に手を合わせています。
「夫婦の心は一つに重なり、家族の心は一つにまとまり、『心の道』に良き因を残してゆく」。今、この神示がストレートに心に入ってきます。私たち夫婦に子供はいませんが、妻や母と心を重ねていける、この人生の素晴らしさを強く感じるのです。家族3人で過ごす「今」を大切に、たくさんの感謝を伝えていきたいと思います。
妻より
夫を見て、「もっとお母さんに優しくしてあげればいいのに」と思っていました。その感覚が上から目線だったと気付けたのは、夫と一緒に教えを学んだおかげです。そのことから「妻として温かく夫を支えたい」と祈願するようになりました。「ありがとう」「ごめんね」を素直に伝えていくと、夫も同じように返してくれるようになり、「夫婦は鏡」と感じます。家族で学ぶからこそ、気付けることがある。感じ方に幅が持てる。そんな喜びを味わっています。
――神の教えを我が家に入れよ――
夫婦は 「心」向き合い 「思い」を語る
夫婦の心 重なるところに その家は栄える
親子は 「心」向き合い これまた何でも語る
親子それぞれ 「思い」を語れよ
和のある家を築くほどに 皆の人生――その家は 神の手の中 導かれ 栄えてゆく
――神の教えを我が家に入れよ――
夫婦は 「心」向き合い
「思い」を語る
夫婦の心 重なるところに
その家は栄える
親子は 「心」向き合い
これまた何でも語る
親子それぞれ 「思い」を語れよ
和のある家を築くほどに
皆の人生――
その家は 神の手の中
導かれ 栄えてゆく
『真実の光・神示 平成18年版』132ページ(中略あり)