No. 576

若年性認知症の夫との生活
心重ねて悔いのないものに
(福井県HH/60代女性/派遣社員)

夫が「若年性認知症」と診断されたのは9年前。まだ50歳でした。誇りを持って勤めてきた警察官の仕事も退職。「どうか夢であってほしい」「元の夫に戻ってほしい」と、何度願ったか知れません。でも、夫は、神に心を守られていたのでしょう。つらい症状も、認知症からくるものと受け止めていました。その後は施設に通い始め、息子とドライブに出掛けるなど、楽しそうに過ごす姿がありました。

病の進行も神の教えを支えに

それでも、病状は一日一日進行し、幻覚を見始めたのです。「火を付けてやる」と暴れる毎日に、私は身も心も限界でした。

夫はそのまま入院。おかげで、私は神の教えを基に自分を見詰める時間が持てました。「かわいそう」ずっと夫をふびんに思っていましたが、それは上から目線だったと気付いたのです。「夫が感じているものを、同じように感じてみよう」重く暗かった心が楽になるのを感じました。

夫に「何が見える?」と聞くと、「波が見える」と返ってきました。「どんな波?」「押し寄せてくる」「大丈夫、怖くないよ」鬼のようだった夫の顔が、穏やかに変わっていくのです。

「お前が宇宙人に見える。指が7本ある」と言われたことがあります。夫にとって、宇宙人は敵でした。それなのに、私が「ここにいてもいいかな?」と聞くと、「いいよ」と優しく言ってくれました。思い返せば、いろいろな場面で、神は、私たち夫婦の心をお守りくださっていたのです。

届いていた私の思い

やがて、夫は退院。この頃には病状はさらに進んでいて、歩くことはおろか、話すこともほとんどできなくなっていました。でも、私の心には、「元の夫に戻ってほしい」という思いはありませんでした。夫婦二人の生活、しっかり支えていこうという、前向きな気持ちしかなかったのです。

そんなある日、急に私の名前を呼び、「ごめんな」と言うのです。びっくりして、言葉が出ませんでした。「私の思いはちゃんと届いていたんだ…」心に温かいものが流れ、満たされていきました。本当に仕合せでした。

最期の瞬間まで家族に愛を

夫との別れは突然訪れました。危篤になり、私と息子が「お父さん、お父さん」と声を掛けると、ひととき意識が戻り、静かに息を引き取ったのです。最期の瞬間まで私たちの思いに応えようとしてくれた…、私には「夫の愛」と感じられてなりません。

今、心の中にはいつも夫がいます。若い頃、夫と二人で「定年になったらキャンピングカーで出掛けような」などと、あれこれ老後の夢を語り合いました。その夢は一つもかなわなかったものの、語り合ったことが「いい思い出」として、私の中に生き続けているのです。「お父さん、子供たちに支えられて、元気にやっているよ」毎日手を合わせて、夫に伝えます。この思いも、きっと夫に届いているでしょう。

神示で確認 「喜び」の仕組み

心迷わず 楽しき人生 手にする極意は一つ
    ――神の教えを我が家に入れる――
 愛ある心が広がって 家族それぞれ 心支えて 和のある家(環境)を手にできる
「時」流れ いかに環境変われども
    いついつまでも「愛と信頼 期待」の心で 「縁」深まりゆく
 不安も 迷いも 悔いもなし
 神の手の中「心(魂)」守られ 我が家の姿(人生) 「心の道」につながってゆく

『真実の光・神示 平成18年版』67ページ(中略あり)

神示で確認 「喜び」の仕組み

心迷わず 楽しき人生
    手にする極意は一つ
  ――神の教えを我が家に入れる――
 愛ある心が広がって
  家族それぞれ 心支えて
   和のある家(環境)を手にできる
「時」流れ いかに環境変われども
    いついつまでも
      「愛と信頼 期待」の心で
        「縁」深まりゆく
 不安も 迷いも 悔いもなし
 神の手の中「心(魂)」守られ
    我が家の姿(人生)
     「心の道」につながってゆく

『真実の光・神示 平成18年版』67ページ(中略あり)