No. 331

心を尽くして見送った
義母の大往生人生
(群馬県MO/60代女性/主婦)

義母が、96歳を迎えた4月。主治医の「末期の腎不全で、いつ何があってもおかしくない状態です」という言葉に耳を疑いました。それまでとても元気で、「100歳まで頑張って長生きしようね」と、話したばかりだったからです。

寄り添って深まった夫婦の絆

医師からは入院を勧められましたが、新型コロナウイルスの影響で面会が制限されていて、会えなくなることが不安でした。「義母にとって、何が一番いいのだろう…」心が迷う、こういう時こそ神の教えの実践。「迷っている気持ちを、家族に話してみよう」と思いました。

夫婦で話し合うと、夫の心が、「もっとできることはなかったのだろうか?」という寂しさでいっぱいであることに気付きました。その心を感じたら、「これまでどおり、家で見守っていこう。おばあちゃん元気だから、まだまだ大丈夫だよ」と励ましている自分がいました。

何より、義母自身が家にいることを望んだので、その気持ちに寄り添おうと、夫婦の心を一つにしました。主治医の応援も得られ、自宅で治療することになったのです。

これまで以上に、夫婦で声を掛け合い、少しでも居心地がいいように、祈願しながら義母のお世話に当たった日々。ある日、夫が「一生懸命見てくれて、感謝しているよ」と言ってくれ、夫婦の絆はますます深まっていきました。「私たちの選択は間違っていなかった。夫婦で心を重ねれば、どんなことでも乗り越えていける」と、確信しました。

大好きな家で安らかな旅立ちを

6月のある朝、義母は、眠ったまま安らかに旅立っていきました。前日まで、孫やひ孫とにぎやかに過ごし、笑顔を見せていたので、信じられない思いでした。いつも周りに気配りし、泣き言一つ言わなかった、気丈な母らしい大往生の姿に、尊敬の念が込み上げました。

最期まで大好きな家にいてもらい、私たち家族も精いっぱい関われたので、喪失感はあっても、悔いはありません。

教会葬儀である、玉納奉寿では、どこまでも家族の仕合せを願ってくれた義母の人生が思い起こされて、心から感謝の思いを届けることができました。

義母と出会い、一緒に歩んだ35年間。ぶつかったこともありましたが、日に日にその存在の大きさを感じています。