義父母と同居したのは26年前。義父は、気性が荒く、365日、お酒とたばこ漬け。がんで闘病中の義母の前でもたばこを吸い、強く当たる光景を目にしては胸が痛み、義父が嫌いになりました。義母が亡くなった時には、「お義父さんが大事にしてくれていたら…」と恨みが増したのです。
神が教えてくれた自分の姿
その思いを取りたいと祈願しても、嫌う心が出てきます。けれど、「和を持って暮らしたい」。この本心も、神に願う毎日でした。
ある日、携帯で撮った動画を見返していると、義父に話し掛けている私の声が…。「○○やんな」「ほな、こうしいや」。何て上から目線な言い方! 「あなたの直すところはここ」と、神が教えてくださったとしか思えませんでした。
優しく寄り添う心を意識して
私に足りなかったのは、相手に優しく寄り添う心。祈願しながら話し掛けてみました。「お義父さん、ご飯召し上がりますか?」「うん。食べるよ」。そこから会話が増えていきました。以前は「何で返事をしてくれないの」と不満に思うこともありましたが、それは義父のせいではなかったと悟ったのです。「返事をしたくない話し方を私がしていたから」。
参拝に行くとき、義父は信者ではないから…と黙っていましたが、何でも話していこうと思いました。「いいお嫁さんになれるように、神の教えを学んできますね」と言って出掛けるうち、義父が「きょうの学びはどうやった?」と聞いてくるように。義父の誕生日には、お義父さんが元気にこの日を迎えられた御礼をしてくると話したら、「わしも連れてってくれ」と言うのです。その数カ月後、信者となりました。
初めて見えた「義父の思い」
義父が昔話をしてくれた時、大家族に生まれてろくに学校も通えず、苦労してきたことを知りました。「結婚して、お義母さんにだけはわがままを言えたんだろうな」。初めて「義父の心」が見えた思いでした。
その後、義父が骨折。在宅介護をすることになり、「お義父さんが笑顔でいられるような関わり方を…」と祈願して臨みました。すると、“大変”どころか、下の世話も嫌に感じず、二人でゲラゲラ笑って過ごせるのです。「大変な思いをさせて申し訳ない」と気遣ってくれる夫に、「楽しくて仕方ないから、私にやらせて」と心から伝えました。ある日、義父から、「いつもニコニコ笑って、かわいいね」。初めて言われた、うれしい、うれしい言葉でした。
神から頂いた大奇跡の心
次第に、義父の体が弱り、いよいよ別れの時…。「お義父さん、お疲れさまでした。ありがとう」。神に守られ、85年の人生を生き抜いた義父。安らかに旅立った姿に、何の心残りもなく、私も夫も穏やかに送れました。玉納奉寿(葬儀)では心からの感謝を込めて、「お義父さんの人生に寄り添えて、ほんまに仕合せでした」。
あれほど義父を恨み、嫌っていた心が流れ、今浮かぶのは楽しかった思い出ばかり…。これこそが、神から頂いた大奇跡です。義父との出会いを通して、人に優しく寄り添う心を育めた私。さらに磨きをかけて、夫と二人、和を持って、笑顔のある生活を楽しんでいきます。
和のある家庭築くほどに
人の心は生き生きするもの
家族それぞれ
思いを語れる家庭には
心迷うも 心悩むも
苦しい思いは残らぬものなり
夫婦 親子それぞれに
立場わきまえ 思いを語り合う家に
神の心は育つのである
家庭の尊さ 「真理」気付いて
家族それぞれ
神の教えで生きるべし
そこに 信者の人生
和のある家を築いて
真実「仕合せ」味わえる
『真実の光・神示 平成19年版』91ページ(中略あり)