No. 1395

能登半島地震で被災した娘
ご守護の中でかなった帰宅

(宮城偉光会館RS/60代女性) 

元日の夕方、夫とテレビを見ていると、画面に地震速報が。「能登地方で震度7」。全身に緊張が走りました。娘が珠洲市で働いているのです。幸い電話はすぐにつながって、「職場の仲間と高台にいる」と無事を確認できました。海に近い寮にいなくて良かった…。娘の声を聞きながら、胸をなで下ろしました。 

タイミングも場所も守られて

停電と断水が続く中、寮への道路も寸断されて、車中泊をしていた娘。地震発生から3日目に、社長さんの判断で、実家に帰ってくることになりました。この頃には、LINEはほぼ不通となって、時折、通話ができるだけ。それでも気持ちが乱れずに、家族で思いを重ねていられたのは、神に心を守られていればこそでした。 

そうして車での帰宅を目指し、まずは金沢に向かった娘ですが、のと里山空港の近くでタイヤがパンク。しかし、その場所がご守護だったのです。遅い時間だったにもかかわらず、ディーラーさんと連絡が取れて、「その近くに知人がいるので、向かわせますね!」。そして、来てくださった方の誘導の下、避難所になっている空港に到着。空港には外灯がついており、トイレも使えると聞きました。それなら安心して一晩過ごせます。本当に奇跡だと思いました。 

不安が全く起きない不思議

翌朝、「パンクの修理に数日かかる」と連絡があり、娘を車で迎えにいくことに。途中の道は亀裂や隆起がひどく、携帯電話も圏外です。でも、不思議と不安にならず、「娘が待っている」ことだけを心に運転できたのです。朝方仙台を出発し、のと里山空港に到着したのは夜の9時過ぎ。ようやく会えた時は、二人で抱き合って喜びました。 

「不安だったけど、落ち着いて行動できた」と言う娘。何と私を待つ間に、車の修理も終わったそうで、また奇跡を頂きました。これは帰宅後に聞いた話ですが、あの時私が空港に向かった道は、その後通行止めになったそうです。何か一つズレても欠けても、娘は今ここにはいなかった…。そんな思いが込み上げました。どこにいても多くの方に支えられ、何一つ不安なく行動できた今回の出来事。「『神に守られる』とはこういうことか」と痛感しています。 

娘より 
あの日、大きな横揺れが続く中、同僚がとっさに、安全な方へと私を引き寄せてくれました。二人でかがみながら、地震が収まるのを待つ時間は長く、初めて死の恐怖を感じたのです。一歩判断を間違えれば、何かが一秒でも遅かったら、失われていたかもしれない私の命。神に守られ、たくさんの方に支えていただき、“今”があることに感謝です。一日も早い復興を心から願い、私にできることをしていきます。