1年半ほど前から、手と足に震えが出て、動きも鈍くなり、病院に通いつつも心配していました。特に、夜間に起きる強いけいれん。寝ているので、自分には分かりません。ある時、妻が、私の体にそっと手を当ててくれたそうです。それを聞いた時、「そばにいてくれるだけで安心する」と伝えました。私の素直な気持ちです。
妻の変化を感じる中で…
しかし、本来の私は、素直な人間ではないのです。妻の話をろくに聞かず、「俺様」を通してきた日々。痛いところを指摘されようものなら、心の中では「そうだな」と思っても、変に意固地になり、「ごめん」が言えません。都合が悪い話は、耳をふさぎ、口を閉じ…、目も閉じます。良くないと分かっていても、「どう関わればよいか分からない」。これが本心でした。
そうやって、妻と心が通わないまま過ぎてしまった30年。先に変わったのは、妻でした。昨年、私が母を亡くした時、いつもどおり明るく、元気に声を掛け続けてくれたのです。仕事で遅く帰っても、食事の時はそばにいてくれ、心がほっこりしました。もともとおしゃべりではない私ですが、妻の優しさを感じると、少しずつ自分の思いを話せるようになりました。
教えの実践は難しくなかった!
分からなかった「家族への関わり方」をつかませてくれたのが、神の教え。「妻はどう考えているのだろう?」。これまで深く考えなかったことに、思いを巡らせるようになったのです。
ある時、妻に伝えた「寂しい思いをさせてきてごめん」。「今なら、少しおまえの気持ちが分かる気がする」と言えたのも、奇跡です。いつも妻が作ってくれるお弁当には、「毎日毎日、ありがたいなあ」という気持ちが湧き出てきて、「卵焼きがおいしかった」などと伝えるようになりました。その時の、うれしそうな妻の顔! 「心を通わせる」というのは、何も難しいことではなかったのです。
自分の役割を意識しながら
「家族にはそれぞれ役割がある」というのも、神の教えを学ばなければ、知りもしなかったこと。夫であり、父である私の役目は、「家族の心を支える」。「みんなが安心して過ごせる家庭をつくりたい」と祈願しています。朝が早くて、帰宅が遅い息子にも、顔を見たら、声を掛けて会話。笑顔を交わしながら…、自分でも「昔と変わったなあ」と思います。
けいれんは、妻が手を当ててくれると、不思議と落ち着きます。私が寝た後、1時間も2時間も心配して、そばで見守ってくれていたと知りました。「ありがとう」も「ごめん」も、素直に伝える自分。「今が一番仕合せ」。この言葉も、心からそう思った瞬間、自然と口に出していました。
素直になりたくても、どうしてもなれなかった過去の私。神の教えがあったからこそ、「変われた」。そこには、無理も我慢もありません。夫婦の心の重なりを、日ごとに強く感じて、今、私は仕合せです。
※既に公開中の、この方の奥様からの「喜びの声」も、併せてご覧ください。
家族一人一人が 任と立場を知り わきまえて 関わる家庭に
人間(ひと)の実体(こころ)は 高められる
豊かな心が育まれる 家庭の真理(すがた)が ここにある
豊かな心を身に付け 生活すれば
自然と病は癒やされ 心も 体も生き生きしてくる
家族一人一人が
任と立場を知り わきまえて
関わる家庭に
人間(ひと)の実体(こころ)は
高められる
豊かな心が育まれる
家庭の真理(すがた)が
ここにある
豊かな心を身に付け 生活すれば
自然と病は癒やされ
心も 体も生き生きしてくる