「介護は大変」と思っていた4年前。80代後半の父が要介護5と認定され、その後、紫斑病という難病も発症したのです。
父への接し方が分からない…
体力も気力も使う毎日。妻が快く協力してくれるものの、負担を掛け過ぎるわけにもいきません。父は記憶が衰え、「おまえは誰?」という目で見てくることも…。「どう接したらいいんだ?」私の心に生まれたのは、戸惑いでした。
そもそも、父との思い出があまりないのです。3人兄弟の次男の私は、長男として大事にされるわけでもなく、末っ子としてかわいがられるわけでもなく…。そんな中で気持ちは外に向き、社会人になると家を出ました。8年ほど前に、妻の提案で、両親との同居を始めたものの、深く溶け込んでいたわけではなかったように思います。
自分でも信じられない心の変化
そんな時、勉強会で気付いたのです。「介護」と思えば大変。でも、「家族と共に暮らしている」と考えると、これまでと何も変わらないのではないか? 父ができなくなったことを、お手伝いしているだけ。家族なのだから、当たり前ではないか…と。
そこから心がスーッと軽くなり、見える景色が変わったのです。ご飯を「うまい」と食べてくれる父。何をしても「ありがとう」と言う父。「父なりに、家族を思いやってくれている」と感じました。
おむつ交換のとき、父は「おまえじゃないと嫌だ」と言うようになりました。何でも手伝ってあげたい。子供の頃に苦労して、食べ物も満足に食べられなかった父に、おいしい物をたくさん食べてほしい。自然と父の手を握る私がいました。そんなこと、昔は考えもしなかったのに…。
ぎゅっと握ると、満面の笑顔になり、時に涙ぐむ父がいとおしくて仕方ありません。耳掃除をしていても…、幼い頃、父の膝に寝転んでやってもらっていたことを思い出し、今はその恩返しの時間と思うのです。私自身の中に、こんな心があったのか…。自分でも信じられません。
不思議な奇跡が次々と
父が私のことを忘れても、「過去に浸るのではなく、これから思い出をつくればいい」と思えました。その数日後、父が私の名前を呼んだのです。うれしかった…。さらに数日後、父が神棚の前で、神の御名を唱えています。そばにいた母と私、涙で顔がぐしゃぐしゃになりました。
不思議なことに、父の紫斑病の症状は全くなくなり、「難病なのに…」と医師が驚いています。息子の私より良好な数値もあるほど健康で、会話までできるように。90歳目前で、これほどの回復はあまりないそうで、家族の愛が引き出す回復力の大きさに、感動を覚えます。
「仕事に行くね」と声を掛けると、「そんなに働いて大丈夫か」と気遣ってくれる父。「親から愛されている」という実感。「父と出会えて良かった」という感謝。介護は大変…そんな思いは消え、「父の笑顔が見られることが一番」。そう感じます。
妻より
夫は本当に一生懸命で、親を思う優しさが伝わってくるからこそ、私も、妻として何があっても支えたいと強く思います。最近では、義父母の仲も一段と深まり、いつも2人で楽しそう。「少しでも家庭の温かさを感じながら毎日を過ごしてほしい」。それが私たちの願いです。
「道」の真理に生きるなら 人は誰も 神の手の中導かれ 楽しい人生歩み抜ける
家族それぞれ 立場わきまえ 声掛け合って 生活すること
時代は流れ 立場は移り変わっても
家族の心重なり合って 心の道に生き続けるのである
介護――家族の心 支え 補い合って 心の負担は生まれない
いついつまでも 家族の心 神の手の中守られて 健康に暮らしてゆけるのである
「道」の真理に生きるなら
人は誰も 神の手の中導かれ
楽しい人生歩み抜ける
家族それぞれ 立場わきまえ
声掛け合って 生活すること
時代は流れ 立場は移り変わっても
家族の心重なり合って
心の道に生き続けるのである
介護――
家族の心 支え 補い合って
心の負担は生まれない
いついつまでも
家族の心 神の手の中守られて
健康に暮らしてゆけるのである
『真実の光・神示 平成19年版』111ページ(中略あり)