父が、「肝臓がんの末期」と宣告された2年前。余命は「長くて半年」。87歳という年齢を考えると、治療しても苦痛を伴うだけ…とのこと。ただ終日を待つしかない宣告でした。
「なすがままでいい」と受け止めていた父。私も、「一日一日、ゆったり感謝して過ごそうね」と伝えられ…。全くと言っていいほど慌てずにいられた理由は、それまでの日々にあったと感じています。
身近なところから生き方を修正
「家族で教えに触れる」と、繰り返し学んできたここ数年。まず、私自身が、「神の教えで、夫婦の関わりを深める」。これを意識してきたのです。
振り返れば、公認会計士、税理士として忙しく働き、家庭を顧みてこなかった私です。それでいて仕事柄、理屈で物を言うのは得意。妻との会話で、いつの間にか自分の考えばかり押し付けていたのでは? だから、「まず妻の話を聞こう」。大きなことではないですが、それが、私自身の「生き方の修正」と思ったのです。
話を聞いて、初めて見えた妻の思い。「こんなに考えて料理を作ってくれているんだな」。その感謝を伝えると、妻も「きょうはこのだしを使ったの」と。言葉の端々から、私を思う気持ちが伝わってきました。
家族の総合力で引き出される力
そうして、少しずつ深まってきた家族の和。そんな中で、うれしい変化がありました。父がレントゲン検査を受けたところ、ほぼがんが消え、そればかりか、呼吸器系の症状も改善されていたのです。担当医すら、「珍しい事例」と驚いていました。
以前は、母から着信があると、「父に何かあったのでは…」と緊張が走りましたが、毎回「お父さんがまた元気になったのよ」「本当?」という会話ばかり。母の献身的な介護はもちろん、妻や子供の支え、幼い孫の存在なども大きく、家族の総合力で、父の生きる力が引き出されているように思います。
病から救われただけでなく…
「父のがんが消えてありがたい」。それだけの話ではないと思っています。神の教えで、「家族の関わり」を強固なものにしていけば、何が起きても対応できる。神の教えに生きる価値を、深く感じた次第です。
何より、不安や不満がなく、毎日が楽しい。一年一年、学びを重ねる中で、心がブレない自分になれたことをうれしく思います。
「教え」で家族それぞれが触れ合うほどに
自然と家族の会話は重なり 増えて 「真実の愛」が家族の心に芽吹く
「教え」が家族の心を一つに重ね 支え 補い合って「生きる」心(愛情)を強くする
「真実の愛」に生きて 人間は 天命を全うできるのである
「教え」で家族それぞれが
触れ合うほどに
自然と家族の会話は重なり 増えて
「真実の愛」が家族の心に芽吹く
「教え」が家族の心を一つに重ね
支え 補い合って「生きる」
心(愛情)を強くする
「真実の愛」に生きて 人間は
天命を全うできるのである
『真実の光・神示 令和2年版』15ページ(中略あり)