34年前に結婚。夫には、連れ子がいました。その女の子と初めて会った時、とても表情が乏しかったことを覚えています。
血のつながった子を育てるのも大変なのに、この子をちゃんと育てられるか…。結婚に迷いもありましたが、私には神の教えがあります。「愛の心で、娘として接していく」と心を決めたのです。
頑張っても空回りの日々
ところが、それからの日々は本当に苦しく、つらいものでした。娘は、小学生で不登校に。夫との間に授かった2人の娘には、ジェラシーもあるのか、強く当たるのです。連れ子と我が子。どちらのつらさも分かる分、私の心は揺れました。
子供のことに必死で、夫にまで気持ちが回りません。とても心が通い合っているとは言えない現実。とにかく波風を立てないように我慢してきましたが、その努力もむなしく、夫が心の病を発症。娘は、友達の家に泊まりに行っては私の悪口。就職した後は、統合失調症を患い、閉鎖病棟に入院。「一生社会には出られないだろう」と言われたのです。
本音を受け止めて、寄り添う
「私、どう生きたらいいか分からない」。娘の悲痛な叫びでした。ほぼ毎日病棟に通い、寄り添いました。看護師さんは、「普通はここまでできない」「こんな親御さんは初めて」などと驚いていましたが、私にとっては、擦れ違った親子の心を修復する貴重な時間だったのです。
入院していた娘は、少しずつ落ち着いて、何と社会復帰までかないました。そして、結婚。「お母さんが愛情を持って育ててくれたから、今の私の仕合せがある。感謝してもしてもしきれない。本当にありがとう」と言ってくれたのです。その言葉に、涙があふれて止まりませんでした。
娘の姿に込み上げてくる喜び
一番身近な夫に、本音を言わずにきたことも大反省でした。夫の発言に、心の中で「それは違う」と反発。私は、自我が強かったのです。まず話を聞いたり、頼ってみたり…。そうしていると、「お父さんの言うとおりにしてみて、良かった」と、お礼を伝えることが増えていったのです。
先日、娘から「長男の小学校最後の音楽会があるから、見に来て」と誘ってもらいました。その帰り、久しぶりに娘の家へ。生活の一端を垣間見て、込み上げてきた安心感。家族に優しく気配りしている様子には、何とも言えない喜びを感じました。
それぞれ立派な大人になった、私の3人の子供たち。今ではお互いにわだかまりなく、普通の姉妹のように仲良くしていて、それもまたうれしいです。夫と二人、こんなにもゆったりした心で子供たちを見ていられる毎日が仕合せで…。神にすがっていればこそ得られた今に、心から感謝しています。
夫婦 親子が集まる姿は形(形態)
家庭に「生きる」 家族一人一人の「心の姿」が重なり合って
真実「家庭」と成る
心(魂)休まる環境が 和(会話)のある家庭
家族は 互いに運命を重ねてゆく
日々触れ合いを深めて 「教え」に生きる真実「家庭」に
人は良き因(実体)を受け継ぎ 運命が導く人生を歩める
「教え」を学び 「真理」のある家庭を築く努力をする
悔いなき人生を 家族(家族全員)が手にする「悟り」が ここにある
夫婦 親子が集まる姿は形(形態)
家庭に「生きる」
家族一人一人の「心の姿」が
重なり合って
真実「家庭」と成る
心(魂)休まる環境が
和(会話)のある家庭
家族は 互いに運命を重ねてゆく
日々触れ合いを深めて
「教え」に生きる真実「家庭」に
人は良き因(実体)を受け継ぎ
運命が導く人生を歩める
「教え」を学び
「真理」のある家庭を築く
努力をする
悔いなき人生を
家族(家族全員)が手にする
「悟り」が ここにある
『真実の光・神示 平成30年版』13ページ(中略あり)