父、母、私、弟。家族4人の仕合せな日常は、ある日突然、崩れました。母が家の貯金を持って出ていってしまったのです。私が小学校高学年の頃でした。
なぜ? どうして? 寂しい…。でも、子供心に口に出してはいけないと感じ、心にしまい込みました。家に帰れば、ご飯の支度をして、弟の面倒を見る生活…。「うちはよその家とは違う」。時が流れると、思い出すのも嫌で、母への恨みつらみがごちゃごちゃに絡まり合っていました。
家族の大切さに気付いても…
しばらくして出会った夫は、そんな私の生い立ちを受け止めてくれました。ところが、結婚してすぐ、授かった子を亡くし、さらには、夫が重症筋無力症に…。闘病生活を乗り越えた後、授かった娘2人は、心からいとおしく、余計に「我が子を捨てるってどういうこと?」と、母への恨みが募っていったのです。
父と弟を亡くした頃から、神の教えで「家庭、家族」と学ぶたび、心に深く残るようになりました。そんな時、突然、母から連絡が…。用件は、「アパートの保証人になってほしい」。
葛藤しました。縁を深めなきゃと分かっているのに、できない自分。気持ちがどうしても付いていかず、断りました。その後、母とは電話がつながらなくなり、昨年、亡くなったと連絡があったのです。私が遺品整理などをしなければならず、借財もあり、到底受け入れられませんでした。
夫のひと言をきっかけに
「みっともない。情けない」。その心を変えてくれたのが、夫のひと言でした。「年老いた女性が一人で生活するのは大変だったと思う。お母さん、頑張ったんだよ」。誰のことも責めずに、ただただ寄り添ってくれるその言葉で、肩の荷が下りたような思いになりました。
母が30年以上勤めていた職場の方から聞いた、母の姿。知り合いの月命日には、必ずお花を供えるほど、情が深かったこと。面倒見が良く、頑張り屋だったこと。社長は、母から「身寄りがない」と聞いていたらしく、もしもの時には、自分が何とかしようと思っていたそうです。人に思いをかけたり、かけられたり…。知らなかった母の人生が見えた時、恨みつらみでいっぱいだった私の心に、ねぎらいの感情が生まれてきたのです。
肉体がなくても深まる縁
「母も頑張って生きてきたんだ」。そんな思いで今年、父、母、弟の「明魂祭(後日の葬儀)」を行いました。その時、心の詰まりが全て流れ、不思議と「安心してね」と本心から伝えられたのです。
「ありがとう」。母に言われたかった言葉を今、娘たちにたくさん伝えています。買い物に行ったり、おいしい物を食べたり…。母とはできなかったけれど、娘たちとできることが仕合せです。
毎日、母に手を合わせて報告しています。「仕合せだよ。ありがとう」。肉体がなくても深まっていく「親子の縁」。この神を知ればこそ味わえる、究極の心の救いです。儀式をきっかけに義妹たちとの縁も深まり、父、母、弟に良い報告がたくさんできています。我が家の根こそぎの開運に向けて、神が心を導いてくださっていることを感じます。
神の手の中 「運命」の力に生かされる我が「人生」に 感謝の思いを深めてごらん
――「命」ある今に感謝する――
この「思い」が深まるほどに 人間は
姿 形を追い求め こだわる心から解放されて
今ある全ての出会いを受け入れられる
――生かされている「今(今日)」に礼を尽くす――
この「思い」の深まりに 人間は 全ての出会いに感謝する心が持てる
神の手の中
「運命」の力に生かされる
我が「人生」に
感謝の思いを深めてごらん
――「命」ある今に感謝する――
この「思い」が深まるほどに
人間は 姿 形を追い求め
こだわる心から解放されて
今ある全ての出会いを
受け入れられる
――生かされている「今(今日)」に
礼を尽くす――
この「思い」の深まりに
人間は 全ての出会いに
感謝する心が持てる
『真実の光・神示 平成28年版』179ページ(中略あり)