市役所で働く中で、避けては通れない市民との関わり。ある一人暮らしの男性は、こわもてで、言葉も態度も強く、担当間で「気を付けるように」と申し送りがありました。ある時、私の部下がその方の対応に当たったところ、案の定というのか…。クレームの電話があったのです。
自然と深まっていく縁
「自分がやれることをやろう」と軸がぶれなかったことが何とも不思議でした。おわびに伺うと、「曲がったことが嫌い」という思いが伝わってきます。話を聞くほど、自分たちが取ってきた行動は誠実だったか? 役所的な対応ではなかったか? 反省ばかりでした。そうした気持ちで話を聞くほど、その男性は少しずつ穏やかになったのです。
ある日、その方と連絡が取れず、心配して家を訪ねると不在…。その時、丁寧に手入れされた植木が目に入りました。「心の優しい人だな」と胸がいっぱいに。その直後、不思議なことにその方から連絡が! 安心して思わず涙した私に、「あんただけだ、こんなに心配してくれるのは」とその方も涙…。以来、とても信頼してくださり、周りがみんな驚いています。
人を思う自分になれた喜び
何より、「誰かを思って動く」。昔はこんな私ではなかったので、自分の変化がうれしくて仕方ありませんでした。
というのも、私は昇進が遅れていて、ここ数年、ねたみや嫉妬で心は悶々(もんもん)。地位や肩書にこだわる心。これが自分の人生を毒していると気付いても、どうにもできなかったのです。
ただ、神の教えを学ぶことだけは続けていきました。そうするうちに、体で言えばまるで筋肉が付くように…心をたくましく育てていただいたのでしょう。「自分が今、できることを精いっぱい」。ここに気持ちが向くようになったのです。工事への対応なども、地元の方への細やかなお知らせや丁寧な説明など、上からではなく、寄り添えるようにと常に心掛けている私がいます。
そうした中で、不思議と上司が高く評価してくださり、後輩が私を立ててくれていることを感じるようにもなりました。心が一皮むけて成長したような感覚。数年来悩んでいた「なぜ俺よりあいつが?」といった感情がまるでなくなり、「何であんなことで悩んでいたんだろう?」と思うのです。
神の教えが、私の心に清涼感を与え、清めてくれていることを強く感じます。人との縁があってこそ、生きてくる自分という存在。「困ったことがあれば何でも」の気持ちで仕事に向かう毎日です。
人は 出会いを生かしながら 「人生」を楽しみ 真の生きがいを手にして逝く
人間は 一人では生きられない
出会いを生かす「努力」が 「人生」を高める
「教え」を「心(人生)の支え」にできるなら
人は皆 出会いが生きる「人生」を求める
「出会い」が生む「縁」こそ 互いの運命を重ね 補い 支え合う縁であり
「愛」と「信頼」と「期待」で 互いの心(運命)が結ばれてゆく
人は 出会いを生かしながら
「人生」を楽しみ
真の生きがいを手にして逝く
人間は 一人では生きられない
出会いを生かす「努力」が
「人生」を高める
「教え」を
「心(人生)の支え」にできるなら
人は皆
出会いが生きる「人生」を求める
「出会い」が生む「縁」こそ
互いの運命を重ね 補い
支え合う縁であり
「愛」と「信頼」と「期待」で
互いの心(運命)が
結ばれてゆく
『真実の光・神示 令和4年版』9ページ(中略あり)