No. 1299

長年、父が大嫌いだった私
心が変わって味わう仕合せ
(北海道CF/40代女性/無職)

身勝手で短気。そんな父が大嫌いでした。幼い時、両親がけんかをすると、父は「パパとママが離婚したら、どっちに付いてくる? パパだよな?」と何度も聞いてきました。「ママ」と言えばけんかになるのは、幼心でも分かったので、「けんかはどっちも悪いから、どっちにも付いていかない」と返したことを覚えています。 

20歳の頃、母が乳がんから命を救われ、その4年後には父が脳梗塞に…。でも、二人とも命を救われ、特に父はまひがあったのに、普通に歩き、話せるまでに回復。でも、母の時より感謝は薄かったです。父は退職せざるを得ず、必死になって働く母。「何でこんな家に生まれたの? 私はまだ20代なのに、看護だの介護だのそんなのばっかり!」と不満でいっぱいでした。 

職員とのやりとりで得た気付き

私が仕事を休んで病院に連れていこうとすると、嫌がる父。「働いていないんだから、早く支度して! 私は仕事休んでるんだから、いい加減にしてよ!」。そして言い争いになり、お互い嫌な気持ちを抱えて病院へ。その時には、父は認知症と診断されていました。 

毎日のどんなことも不満に思うようになってしまった私の心。父のことは「いっそ施設に」という気持ちさえよぎります。でも、母は、父に一心に尽くすのです。 

そんな日常が変わったきっかけ。それは、神示教会職員のひと言でした。「あなたは短気なんですか?」。周りから「穏やか」と言われる私は、「いいえ」と即答。でも、心の中で「私、短気なの…?」と自問していました。よく考えると…。父の言動に腹を立ててばかりいるのは、私も短気だから。そこに気付いたのです。

落ち込むのではなく直そうと

その頃、高熱が頻繁に出るようになり、検査しても原因不明。さらに、母はがんが転移。我が家の近くに北海道帯広偉光会館が開所したのは、ちょうどそんな時でした。足しげく通ううち、自分の姿が浮き彫りになりました。 

「子供の立場を超えていた」。父は父なりに、母は母なりに思いを抱えていたはずなのに、寄り添いもせず、ただ責めるだけの私。「働いてないから」と、父をずっとばかにして、見下してきた私。何と道を欠いていたのでしょう。職場でも「あの人ばかり認められて…私の方ができるのに」と心で責めて、恨んで、こだわって。これまでなら落ち込むだけでしたが、今回は違います。神が寄り添ってくださるから、祈願しながら直そうと思えたのです。 

そんな中、病院で処方された漢方薬の効果がてきめんで、うそのように高熱が出なくなりました。おまけに母のがんの数値も下がり、安定しています。認知症の父も進行が抑えられ、一時はなくなっていた表情が出るように。何より変わったのは私の生き方です。家に帰ると父に、「パパー! ただいま!」と全力で手を振ります。すると父は、恥ずかしそうに笑いながら「元気だなあ。おかえり」と手を振り返してくれます。胸に染み入る父の温かさ。自分の心が変わった喜びでいっぱいです。

「真理」に 人生の支え 気付きを得て 家族と正しく関わるなれば
    人は必ず 人生の夢 「生きる」意味(価値)が見えてくる
 夫婦の心は一つに重なり 家族の心は一つにまとまり
    「心の道」に良き因を残してゆく
 実体は ますます引き上げられて 家族の心(運命)が家族の人生を「正道」へと導く

「真理」に 人生の支え 気付きを得て
    家族と正しく関わるなれば
  人は必ず
   人生の夢
    「生きる」意味(価値)が
             見えてくる
 夫婦の心は一つに重なり
  家族の心は一つにまとまり
   「心の道」に良き因を残してゆく
 実体は ますます引き上げられて
  家族の心(運命)が
    家族の人生を「正道」へと導く

『真実の光・神示 令和4年版』33ページ