No. 1294

「神の手の中」の意味が
心の芯まで染みる「今」
(長崎県MS/70代女性/主婦)

「この世に神様がいるのなら、なぜ平等じゃないの? なぜ私だけが…」わずか9歳の時によぎった思い。体が弱く、通院のために学校も転校し、親と離れ離れに住むことになったのです。でも、心配を掛けてはいけない思いもあって、無理やり笑顔を作っていました。

不思議な流れで救われていく命

そんな私が信者になった一番の理由は、引っ込み思案な自分が嫌いだったから。しかし、その後も次々と襲ってくる病。何で私だけ? 勉強会でよく聞く「神の手の中」という言葉の意味が分かりませんでした。

30代で発症したのは、頸椎(けいつい)後縦靭帯(じんたい)骨化症と、胸椎黄色靱帯骨化症という難病。手術はできなかったのに、失ったはずの右下半身の感覚が戻ったのが不思議でした。その10年後、両方の下半身の感覚がなくなりましたが、その時は手術が成功。しかも、そのタイミングで通っていた病院が建て替えとなり、私の治療に必要な最新の設備が整ったのです。さらに7年後には、心臓の2つの弁を人工弁に替える手術が大成功。元通りの生活が送れるようになりました。 

不健康だった自分の心に気付く

子供を望むことはできないと言われた私たち夫婦に、息子を授けていただいたこと。いろいろあっても乗り越えられた日々を思うと、「神の手の中」と言わずして、何と言うのだろうか…。初めてそう感じるようになったのです。 

やがて夫を見送り、一人息子と二人暮らしに。その息子は学習塾を開き、順調にいくものと思いましたが、生徒の減少で辞めざるを得なくなりました。ショックで引きこもりのようになった息子の姿。それを見た時、「母らしい生き方を」。これほどまでに神の教えが心に響いたのは初めてでした。 

我が子であっても、「一人の人間」として同じ目線で接することが大切だったのに、私は常に「上から」。息子の口数が少ないのをいいことに、「反発しないからこれでいいんだ」「男の子なんてこんなもの」と決め付けていたのです。 

何と安易で、不健康な生き方をしてきたのか。とにかく、息子の思いを聞くことに意識を向けていきました。言葉は少ないけれど、確かに我が子の心を感じられます。すると、ある日突然、「ハローワークに行ってくる」と言うのです。その日のうちに見つけてきた勤務先は、自宅から徒歩5分もかからない場所。「この辺は賃金が安いから嫌だ」と言っていたのに…。体が動きづらい私を、そばで支えようとしてくれる息子の思いが伝わって、心に温かさが広がりました。 

体の弱い私は、今も病との闘いが続いています。先月も入院しましたが、引っ込み思案の私が、「こんなに明るい患者もいない」と言われるほど前向きだったのは不思議です。退院後は、息子が爪を切ってくれたり、靴下を履かせてくれたり…。仕事の話もたくさん聞かせてくれて、まるで別人です。 

今日までのさまざまな出来事、全て「神の手の中」と心から実感します。こんなに変わるのかというほど変わった我が家。味わったことのない仕合せな日々です。

人は皆 神の手の中「運命」に守られ 万物との出会いを深めて 有限の時を生きる
神示「真理」に気付きを得て 祈願で実体を修正する 努力を欠いてはいけない
 「教え」を学び 「真理」で家族と関わる 努力から始める
 自然と 家族との会話が増えて 互いの思いは重なり 愛情が深くなる
 ますます 不安に迷う思いは消えて 家庭が心潤う場(環境)となってゆく

人は皆
  神の手の中「運命」に守られ
    万物との出会いを深めて
          有限の時を生きる
神示「真理」に気付きを得て
    祈願で実体を修正する
       努力を欠いてはいけない
 「教え」を学び
    「真理」で家族と関わる
           努力から始める
 自然と 家族との会話が増えて
    互いの思いは重なり
           愛情が深くなる
 ますます 不安に迷う思いは消えて
    家庭が心潤う場(環境)と
             なってゆく

『真実の光・神示 令和4年版』149ページ(中略あり)