No. 1281

透析治療で見詰めた心
今、深く感じる仕合せ
(石川県YD/70代男性/無職)

結婚前、妻からこの神の話を聞き、「妻と一緒になりたいから」と、素直に信者籍を置いた私でした。でも、さほど熱心に神の教えを学んでいたわけでもなく、安穏と過ごしていました。 

40代半ばごろから感じ始めた体の違和感。50代になると、腎臓に病が見つかりましたが、何とか65歳まで働くことができました。そして去年から、透析治療を受けることになったのです。 

「透析だけはしたくなかった」。心にさまざまな不安がよぎり、教務相談を受けました。その時、職員に言われた「自分が『正しい』と思うことがあるように、相手にも『正しい』と思うことがある。押し付けては駄目ですよ」という言葉。私の心の変化は、ここからでした。 

「無自覚」の恐ろしさに気付く

自衛官として働いていた私は、家では上官そのもの。3人の子供たちには、まるで部下に指導するかのように、厳しく注意。それが「仕付け」であり、正しいことと思ってきました。そうやって“自覚しないまま”、トゲトゲした心で人を傷つけてきたのではないだろうか? 深く反省したのです。 

ルールを守らない人がいると、すぐカッとなり、おまけに「危ないな!」などと口にも出していた私です。「ルールは守って当然」としか考えられなかった自分の心。そこに、「何か事情があるのだろう」「いろんな考え方があるから」と、幅が出てくる感覚がありました。気が付くと、妻から「お父さん、最近、やっと丸くなってきたね」と言われるようになっていました。 

頂いた命で家族や周りに…

ゆったりした心で受ける透析治療は、「どうして」などと心が落ち込むことがありません。週に3回、4時間かかりますが、「命を頂きに行く」という感覚です。10年も20年も生きられそうな気持ちがしてくるのです。 

神には毎日、「奉仕の心、健康な心で過ごしたい」と願っています。ささいなことですが、力仕事を手伝ったり、町内の班長をしたり。妻と毎日、教会図書を読む時間も仕合せいっぱい。こんな心で過ごせているのが不思議で、神に健康の真理を教えていただいているおかげと、感謝しています。 

先日は、私の70歳の「神魂の儀(長寿の祝い)」に、妻や娘家族が、みんなそろって参列してくれました。妻と出会い、2人で始めた結婚生活も41年。子や孫に囲まれて味わう仕合せ感は格別です。悩むことがあっても、そこからの気付きが、今後の我が家の仕合せにつながっていくと実感しています。

妻より

短気で曲がったことが大嫌い。そんな夫に、きつい言葉を返していた私。神の教えを学ぶほど、「私が変わらないといけない」と思うようになりました。気が付けば夫婦げんかもなくなり、ここ最近は、娘家族が我が家に集まることが急に増えてきました。「お父さん、お父さん」と慕ってくれる姿を見るのが仕合せです。神に出会っていなければ今の我が家はないと、心底、感謝が込み上げてきます。

「真理」を学び 「心(人生)」に生かすべし
 生かすほどに 気持ちはゆったり流れ 今ある(存在)ことに感謝が持てる
心の健康――今に満足 きょうに感謝して 全ての出会いに奉仕する人の心(姿)を申す
 「運命」に重なる心の動きが 真の健康を生むのである

「真理」を学び
     「心(人生)」に生かすべし
 生かすほどに
  気持ちはゆったり流れ
    今ある(存在)ことに
            感謝が持てる
心の健康――
  今に満足 きょうに感謝して
   全ての出会いに奉仕する
         人の心(姿)を申す
 「運命」に重なる心の動きが
       真の健康を生むのである

『真実の光・神示 平成24年版』117ページ