仕事からの帰り道。スーパーで買い物をして、ふと時計を見たら、もうすぐ電車の時間! 間に合うように走り始めました。心の中では「年齢的にも少しの段差が危ないから、走っちゃ駄目」と思いながら…。
自分に欠けていたものは何?
予想どおりというのか…、その段差で見事に転んでしまいました。擦り傷程度と思っていたものの、日を追うごとに増す痛み。病院に行くと、左腕を骨折していて、全治1カ月と言われました。
「せっかち」という、分かっていたはずの自分の性格。しかし、ただ分かっているだけ。思えば、夫にも結婚当初から、「話を最後まで聞いてほしい」「物事を深く感じ取って」と注意されていたのでした。その夫の気持ちを聞き流していた私は、ただのせっかちではなく、人の心をないがしろにしていたのです。体と一緒に心も直そうと決めました。
「家族に何でも話す」とは
ある時、夫が、将来のことを話してくれました。それは、私には予想外の人生プラン。「あり得ないでしょ」と言いかけて、心にストップが。夫の思いを聞かないまま否定するのは違うと思ったからです。
「ねえねえ、何でそう思ったの?」と興味を持って聞いてみたら、親や私のことを考えている気持ちをたくさん話してくれて、心から共感…。夫の話は「あり得ない」ことでは全くなかったのです。
これまで神の教えで「家族は何でも話す」と学んだ意味を履き違え、せっかちなまま、「それはない」「無理無理」とポンポン言っていた私。「何でも話す」とは、「相手の気持ちを大切にする」のが大前提ということにも気付きました。
「健康な心」で過ごす療養生活
「自分にできるところ」と、「周りに助けを求めるところ」を考えながら過ごした療養生活。食事作りは片手でもできる物を。お風呂では背中が洗えないので、夫にヘルプを求めて。幼い頃、家族に背中を流してもらったことを思い出し、とても温かな気持ちになりました。
親に「骨折したけど元気だよ!」と連絡したら、安心するどころか、「代われるなら代わってあげたい」と想定外の反応が…。「親はやっぱり親なんだなあ」と愛を感じ、「健康に産んでくれたのだから、しっかり治さなきゃ」と、さらに心がシャキッとしました。完治するまでの間、折れた骨が元に戻っていく過程は、細胞一つ一つが働いている証しに思え、我が体の不思議な力に感動でした。
あのまま平々凡々に生活していたら見逃していたであろう自分の粗さや、ガサツさ。そこに気付けたことに、神の愛とご守護を感じます。家族にも、周りの人にも、骨折前とは違う、ゆったりとした明るい心で関われています。それは、今まで以上に楽しく、心弾む毎日です。
広く大きな心になって 我が姿見詰めてごらん
見えて 心立て直すところに 皆の人生 多くの愛に生きられる
心広く 大きくなって 思いを受け止めるべし
――人は 受け入れられるほどに 心開き 愛を返す――
「真理」悟りて 出会いに感謝 丸い心で生きるべし
広く大きな心になって
我が姿見詰めてごらん
見えて 心立て直すところに
皆の人生 多くの愛に生きられる
心広く 大きくなって
思いを受け止めるべし
――人は 受け入れられるほどに
心開き 愛を返す――
「真理」悟りて 出会いに感謝
丸い心で生きるべし
『真実の光・神示 平成18年版』27ページ(中略あり)