No. 1277

気付いたら消えていた!
ついつい出ていた批判の心
(北海道MK/60代女性/主婦)

「いろいろな考えの人がいる」と神の教えで学び、頭では分かっていても、毎日の生活の中では、なかなか…。人との会話で、自分の思うような答えが返ってこないと、「こうじゃないの?」と批判の心が強く出てしまいます。そのうち、「この人はこういう人」と心の距離を置いていたのです。 

私が言っていることは、正論のはず。それなのに心はスッキリするどころか、モヤモヤしたまま…。その時に受けた教務相談で、私は、「自分を変えたい」と“真剣に”祈願する心が足りなかったと感じました。 

真剣に祈願している中で

大きく変わっていったのは、ここからでした。私は、夫に対しても「この人はこういう人」と決め付けていたと気付いたのです。「家でテレビばかり見ている人」と。 

ある日、夫が見ていたテレビを何げなく見たら、脳外科の手術を取り上げていました。手術が成功して涙するご家族の姿。ふと夫を思い出しました。実は、私も10年前に、脳外科で動脈瘤(りゅう)手術をしています。その時、夫は片道1時間かけて、仕事帰りに見舞ってくれました。「大変だったよね…」と、あらためてお礼を伝えると、いつもはあまり返事をしない夫が、「あの時は若かったから」と言って笑ったのです。 

夫の別の一面が見えてきたら

長年夫婦として過ごしてきたのに、私は、夫という人間を、間違って理解していたのかもしれない…とハッとしました。考えてみれば、夫は今でも現役で働いています。この年齢まで仕事をするなんて、私には到底できないこと。「テレビばかり見ている夫」は、優しくて真面目な人。「家では体と心の栄養を取ってほしい」と、自分の心が変化したのです。 

そもそも、私がいつも「夫はこういう人だから、相談しないで一人でやろう」と動いていたから、夫はテレビの元へ。「テレビばかり見る夫」に私がしていたのでした。 

足元の家庭から喜びを実感

ちょっとしたことでも夫に相談するなど、夫婦の関わりが増える中、人との会話も少しずつ変わってきました。「こうあるべき」と思う前に、「そっか、この人はこう思ったんだ」と幅が出てきたのです。こだわる心が抜けて、人との関わりに難しさを感じなくなっていました。 

先日、夫が70歳に。神魂の儀(長寿の祝い)では、家族全員に感謝を述べてくれました。それだけでなく、後日、「ずっと働いてこられたのは、家を守ってくれた妻のおかげなんです」と、知人にまで話してくれたのです。結婚して初めての言葉に、驚きと喜びでいっぱいでした。 

神の教えにもある、「自分が変われば相手が変わる」を実感。そして、それは我が家から。出会う人全ての心を大切にできる自分を目指します。

心(魂)安らぐ家庭を手にするために 気付きを深める我であれ
 「教え」を学び 「教え」に生きて 家族に触れる
 会話を楽しみ 相手の思いを受けて 事を運ぶ
 そこに 仕合せの芽(心)が芽吹いてゆく

心(魂)安らぐ家庭を手にするために
       気付きを深める我であれ
 「教え」を学び 「教え」に生きて
            家族に触れる
 会話を楽しみ
    相手の思いを受けて 事を運ぶ
 そこに
   仕合せの芽(心)が芽吹いてゆく

『真実の光・神示 平成26年版』106ページ(中略あり)