私が生まれた家は、「和のある家庭」とは程遠かったです。酒乱の伯父や気が強い伯母がいて、母はよく泣いていました。私も絶えずビクビクし、大人の顔色ばかりうかがっていたのです。
その影響もあるのか、極端に疑り深い人間になりました。学校に行っても友達ができず、浮いた存在。社会人になり、上司や先輩に指導されると、過度に悪く受け止めてしまい、それが悩みになりました。そのうち無視されたり、攻撃されたり…。仕事は真面目にやっても、周りとはなじめないまま。やがて縁あった人と結婚しましたが、心が重ならず、離婚となりました。
信者になったものの…
その頃の私は、例えると、風の吹くまま漂流する難破船のようなもの。それでも何とかしなければと、もがき続けた日々。時流れ、今の妻と知り合いました。ある時、「大山命という神を知っていますか?」と聞かれましたが、初めて耳にする神様です。ただ、その後連れていってもらった神総本部は、何とも言えない清らかな場所で、信者になることを決めました。
これで事が順調に進むかに見えましたが、現実は違いました。疑り深い私は、神の教えに対しても同じで、「感謝」「奉仕の心」といった内容に強い抵抗を感じたのです。「人のために」なんてきれい事を言っていたら、周りにいいように利用されてしまう。自分のために努力して、相手より優れていなくてはと思いました。
自分が変わっていく実感
今も忘れられません。ある日、偉光会館に行く道すがら、妻が「私はあなたを大事にすると決めた以上、ずっとそうするから」と言いました。妻を見ていると、いつも穏やかで、誰にでも優しく、人から愛されています。それはなぜか? 妻自身が、愛をかける生き方を貫いているからではないか? 神の教えで学んだ「愛は愛を呼ぶ」のとおりだと思いました。
じわじわと、心に染み入ってきた神の教え。「自分は不幸」「周りが悪い」そう思っていましたが、そもそも自分が人から攻撃される態度を取っていたことに、初めて気付きました。人との正しい関わり方も教えからつかめて、臆することなく人と触れられるようになっていったのです。
再婚して30年。私たちに実子はいませんが、「父ちゃん、母ちゃん」と慕ってくれる人たちと出会えました。うれしいです。人間嫌いだった私が、今は初対面の方とも楽しく話せます。ここまで変われた自分…、夢のような仕合せを味わう毎日です。有限人生、最後まで妻と2人で神の教えに沿った生き方をしたいと強く思います。
※既に公開中の、この方の奥様からの「喜びの声」も、併せてご覧ください。
――神の教えを「心(人生)」に生かす――
神示を学び 我が心に重ねてゆく
自然と 皆の心は晴れ上がり 生き方が修正される
そこに 「運命」に重なる生き方がかなうのである
――神の教えを
「心(人生)」に生かす――
神示を学び 我が心に重ねてゆく
自然と 皆の心は晴れ上がり
生き方が修正される
そこに
「運命」に重なる生き方が
かなうのである
『真実の光・神示 平成28年版』65ページ(中略あり)