No. 1255

見えなかった身勝手な自分
心の姿を見詰めて変わった
(北海道SS/70代女性/主婦)

30代の頃から人工透析をするようになり、「病院と家の行き来で人生終わるのかな…」と思っていた時、この教会の信者になりました。もう36年前のことです。 

ささいなところで感じるご守護

最近になって、神の教えから気付いたこと。それは、自分の我の強さです。恥ずかしながらそれまでは、「私は自分中心ではない」と思っていました。 

例えば、娘がコロナに感染しないように…と案じる心。根底には「私にうつったら困る」という思いが確かにあるのです。夫が食器を片付けてくれても、「こうしまってくれたらいいのに」と内心イライラ。そんな自分に一つ一つ気付き始めました。 

身勝手な心を変えたくて祈願、祈願…。そのうちに、夫にムッとしても、責める前に気持ちを聞けたり、ふとした場面で「お父ちゃんのおかげで」と感謝を伝えられたり。自分でも「あれ、言えた?」と思えることが増えてきたのです。小さなことかもしれませんが、これが神のご守護かなと、私にはとてもうれしく感じられました。 

娘の言葉がきつかった理由は…

ただ、娘とのやりとりには難しさがありました。一緒に料理している時に「こうした方がいいんじゃない?」と言うと、「やってるよ!」ときつい言葉が返ってきてシュン。優しく言ってくれればいいのに…。 

そもそも、なぜ、娘は強く言うのだろう? 初めて考えてみました。理由はすぐ分かりました。「私が先に口を出すから」。娘がやろうとすることに、何か言いたくて言いたくて仕方ないのです。「お母さん、よく知ってるね」「ありがとう」こんな言葉を期待しているところも、自分中心な私。恥ずかしくなりました。 

心も体も守られている実感

娘は、私に言われなくてもちゃんとやっていました。それが見えてきたのです。そんな娘に、「ありがとう」や「ごめんね」がたくさん言えるように。「愛の心で受け止めて、愛の言葉で返す」が、今の私の大テーマ。毎日祈願し、意識している中で、「私は神から『心の力』を頂いているな」と実感します。 

人工透析のために通う病院で、「何でそんなに穏やかで、笑顔でいられるの?」と言っていただくのも、神から「心の力」を頂いているから…。心と共に体も守られて、左足に入れていた人工血管が、何と22年も持ったのです。普通は、これほど長く持たないそう。感謝の気持ちで、ことし、最後の人工血管を入れる手術をしました。 

30代で人工透析を始めた私が70歳だなんて、考えもしなかった年を生きています。いつかは迎える終日。「きれいな心を子供たちに残していきたい」と強く思います。

「教え」を学び 「真理」を「心(人生)」の支えに日々歩むなら
    人は皆 心明るく 健康に生きられる
自ら「教え」に気付きを得て 心を正す努力をする
 自然と 言葉や態度に 明るく優しい薫りが漂う
 その時 「心」は「運命」に重なり 信頼し 支え合う気持ちが 家庭に芽吹く
人間は 「運命」の力で 重なり 補い合う環境に 心明るく 強く「生きる」人と成る

「教え」を学び
 「真理」を「心(人生)」の支えに
           日々歩むなら
   人は皆
     心明るく 健康に生きられる
自ら「教え」に気付きを得て
         心を正す努力をする
 自然と 言葉や態度に
       明るく優しい薫りが漂う
 その時
  「心」は「運命」に重なり
    信頼し 支え合う気持ちが
            家庭に芽吹く
人間は
 「運命」の力で
   重なり 補い合う環境に
     心明るく 強く「生きる」
              人と成る

『真実の光・神示 令和4年版』145ページ(中略あり)