四国に住む86歳の母が、突然、股関節の激痛で歩行困難になりました。年齢からくるもので、治療法はないということでした。「何で私の晩年は、痛くてつらいの…」と、母が電話口で涙をこらえているのが伝わってきます。でも、私は顔を見て励ますことも、背中をさすることもできない…。「母を救ってほしい」「少しでも歩けるように」と、神に訴え続けるしかありませんでした。
離れていても、できること
勉強会で学んだことを思い出しました。「神は、一人一人の運命を通して守っているので、人のことを願っても通らない」。そこから「自分が母をどう支えたらいいか、気付きたい」と気持ちが変わり、「気付き」を求めて勉強会へ。「生活面は、同居の兄夫婦を信じて任せよう。精神面は、私にも支えられる」と今の立場でできることが見え、スッと心が軽くなったのです。
母と電話で話すときに神示を読んでみようと、ふと思い付きました。こうしてスタートした、2人の“お勉強タイム”。初めは聞くだけだった母が、「愛の心で生きなくちゃ」「感謝が大事なんやねえ」と、どんどん声が明るくなっていくのです。
みんなで、ばあちゃんを思って
何より大きかったのは、家族の存在。つえ探しなど、的確にアドバイスしてくれる夫。娘が電話したときなど、母は「声があったかくて癒やされるわあ」と大喜びです。息子は、母が好きな野球選手が活躍すると、「ばあちゃん、喜ぶね!」と即一報。みんなの「ばあちゃんのために」という心が、がっちりと重なっていました。
兄夫婦と話していると、献身的にサポートしてくれているのが伝わってきて、「お兄ちゃんたちのおかげ」と伝えました。家族の縁が深まったことを感じ始めた頃、何と母が「痛みが取れてきた」と、歩く練習を始めたのです。
神の教えの“不思議な力”
先日、母が「偉光会館へ行ってきた」と言うので、電話を落としそうなほどビックリしました。つい2カ月前は、ハイハイでしか動けなかったのに、玄関まで行き、靴を履いて歩けるなんて…。母は、治療もリハビリも一切していません。家族もできることで支えただけ。「家族一丸」になると、心が元気になり、体の健康まで付いてくる。神の教えの“不思議な力”でした。
当初は、「何も役に立たなくなってしまった」と落ち込んでいた母ですが、そんなことは全くありませんでした。母の存在が、私たち家族の心のつながりを深め、仕合せへと導いてくれているからです。母は「支えてもらう喜び」を味わい、家族は「支えていける喜び」を味わえる。これほど仕合せなことはありません。神のお力の偉大さと、幾つになっても、何があっても仕合せを味わえる生き方があることを、周りに語りたい思いでいっぱいです。
人間は 家族との関わりの中で 生涯を歩み 「心の道」をつないでゆく
家族の縁が 悔いを残さず「生きる」 心の支えと成る
「教え」が家族の心をつなぎ 声掛け 支え合って「生きる」意味(価値)が悟れる
「教え」のある家庭には 家族の心が重なり合って 老後の不安 迷いは起きない
人間は
家族との関わりの中で
生涯を歩み
「心の道」をつないでゆく
家族の縁が
悔いを残さず「生きる」
心の支えと成る
「教え」が家族の心をつなぎ
声掛け 支え合って「生きる」
意味(価値)が悟れる
「教え」のある家庭には
家族の心が重なり合って
老後の不安 迷いは起きない
『真実の光・神示 平成29年版』14ページ(中略あり)