自分の長所だと思うのですが、私は人より少し器用で、作業などで苦労した経験はほとんどありません。スーパーの精肉の仕事は、まさに天職。他の人ができないと、「なぜできない?」「何回も教えたのに!」と言ってしまいます。相手が傷つこうが何だろうが、「私はそう思うんだもん、仕方ない」とお構いなし。勤続24年、それで良いと思っていたのです。
きれい事の祈願からの脱却
勉強会で、「人を責めたり、嫌ったり。そういう人は健康にはなれない」と聞いて、私のことだとハッとしました。甲状腺機能障害があり、高血圧。だから、ずっと「健康になれますように」と祈願。しかし、改善が見られず、「私は神に守られていないんじゃないか」と思うようになりました。神を信じていない人が、神に守られるはずもありません。何十年もたったけれど、つい最近、そこに気付いたのです。
いつもは「あの人を嫌いませんように」など、教えを復唱したような、きれい事の祈願。「嫌ってはいけないと分かるけれど、嫌という気持ちが出てしまいます」。本心と向き合い、「心を救ってください」と願ったのは、初めてだった気がします。すると、偉光会館で地域の信者仲間と話す中で、大きな“気付き”がありました。
ある人が、「仕事を教えてもらう時、説明がはしょられて大変だった経験がある」と言っていました。私も同じことをしていた…? 教わる人の気持ちに寄り添えてこそ、本当に「できる人」と感じたのです。
相手の心に「寄り添う」気持ち
みんなに申し訳ないことをした…と思いました。だから、今は「私の説明で分かった?」「ここはメモを取るといいよ」。そんな言葉が出てきます。おかげでコミュニケーションが増え、「できない」と思っていた人の素直さ、同僚の優しさが見えてきました。全員でカバーし合う雰囲気まで生まれ、何だか和気あいあいです。以前なら、「私の方がカバーしてるわよ」と、恥ずかしいほど冷たい言葉が出たでしょうが、今の私からは「ありがとう」が出てきます。
「必要とされる人」になれて
みんなの笑顔を初めて見た時、「何てかわいいんだろう」と感じました。この笑顔を消していたのは「私」。新入社員の子は、「最初は怖かったけど、今は、あなたとお話ししたくて仕事に来ています」と言ってくれ、異動する人からは、「もっと一緒に働きたかった」とも…。初めてのことで心からありがたく、御礼の祈願をしながら涙が止まりませんでした。
心が穏やかだからでしょうか。不思議と血圧が下がってきて、医師に「薬は減らしましょう」と言っていただきました。しかも、最近知ったのですが、昔、私は職場で「鬼」と呼ばれていたそうです。そんな私が、「関わりたいと思ってもらえる人」に変われたことが、本当にうれしいです。
常に 「教え」に生きる心を神に願って 生きるべし
人・物との出会いも生きて 生きがいを手にできる
「教え」を人生の支えに生きるところに 知識・体験が生きる
健康――心を軽く 強くすれば 自然と体調も安定し 心身ともに健康でいられる
常に
「教え」に生きる心を神に願って
生きるべし
人・物との出会いも生きて
生きがいを手にできる
「教え」を
人生の支えに生きるところに
知識・体験が生きる
健康――心を軽く 強くすれば
自然と体調も安定し
心身ともに健康でいられる
『真実の光・神示 令和4年版』107ページ(中略あり)