No. 1130

名前だけの信者だった私が
神と生きる喜びを味わって
(宮崎県SF/60代男性/会社員)

今から40年ほど前、当時お付き合いしていた妻に話を聞いて、私は信者となりました。でもその頃は、「結婚できますように」の一心で籍を置いたようなもの。結婚がかなってしまうと、特に悩みもなく、勉強会に行っても居眠りばかり。長年、名前だけの「信者」だったのです。 

思いがけない「自分」に気付く

それでも、信者仲間と触れるうちに、少しずつ「学んでみよう」と心が変化。それを後押しするように、地方会場での行事の際、職員と話す機会がありました。教会図書を活用し、神示に触れて心を見詰めること。授業に出席するだけが学びではない。教えの学び方、生かし方が見えてきて、「そうか!」と目が覚める思いでした。 

手に取ることもなかった教会図書。開いてみると、心にすっと入ってきます。教えを通して、自分の「心の姿」が見えてくる、確かな手応えも感じました。気性が荒く、けんかっ早くて、自己中心的。職場でも、「自分さえ数字が出せれば」と考えて、部下がミスをしようものなら、お客さまの前であっても怒鳴りつけていました。 

愛ある人になりたい一心で

そんな自分が見えるほど、募っていく「愛ある人になりたい」という思い。だから、それを真剣に祈願しました。神は、確かに受け取ってくださったのだと思います。人との接し方が、少しずつ変わっていったのです。「困っていることはないか」「何か手伝えることは」…思いやりの心が持てるほど、声を掛けるタイミングも、伝える言葉も、それまでとはまるで変わりました。

「あれ、何か違うね」と言われるようになり、お客さまが増え、成績も上がり、念願だった昇進までかなったのです。でも、何よりうれしかったのは、周りに人が寄ってきてくれて、誰とも楽しく話せるようになったこと…かもしれません。少し前に定年を迎えましたが、今も、現役の時と同じ席で、同じ仕事をさせていただいています。任せていただける仕事は増える一方で、やりがいを感じる毎日です。 

求める心があれば、必ず救いが

神と出会ってはいても、信者としての本当のスタートは遅かった私。今思うのは、時間はかかっても、いつからでも、本心から求めれば、神は必ず応えてくださるということです。人間関係も、仕事も大きく引き上げられた私の人生が、それをはっきりと示してくれています。 

今年の4月には、大好きな地元、宮崎の地に念願の偉光会館を頂きました。足を運ぶたびにうれしくて、妻と2人、感謝の思いを深めています。一人でも多くの方に、この喜びを伝えていきたいです。

「教え」を学び 祈願で「真理」に近づく人を 神に願う
 「教え」に気付きを得て 祈願で実体を修正するほど 愛に生きる心が芽吹く
 「教え」を人生の支えに「生きる」ほど
    感謝の思いが 広がり 深まり
      人・物との出会いを生かす 愛深い人と成ってゆく

「教え」を学び
  祈願で「真理」に近づく人を
              神に願う
 「教え」に気付きを得て
    祈願で実体を修正するほど
        愛に生きる心が芽吹く
 「教え」を
    人生の支えに「生きる」ほど
  感謝の思いが 広がり 深まり
     人・物との出会いを生かす
        愛深い人と成ってゆく

『真実の光・神示 令和4年版』133ページ(中略あり)