No. 1129

高齢の母との二人暮らし
見る見る消えたストレス
(神奈川県KF/60代女性/パート)

夫を見送り、92歳になる母と二人暮らしの毎日。このところ耳が遠くなり、会話をするのが一苦労です。物忘れもひどく、思わず、「その話、この前聞いたよ」と言ってしまうこともしばしば…。その母が、今年に入り、手のしびれがひどくなり、痛がっています。病院に行くと「特に問題なし」と言われ、途方に暮れました。 

ふと見えた母の「表情」

そんな中、ふと思ったことがありました。手の症状が悪くなる少し前、私が仕事から帰宅すると、母が大音量でテレビを見ていました。何とボリュームは50。「近所迷惑でしょ!」と慌てて音量を下げたら、珍しく母が怒ったのです。「だったらテレビなんか見ない!」そう言って自分の部屋に行き、ふて寝をしてしまいました。 

実は、しびれが悪化したのは、その翌日からだったのです。母は、けんかをしたこと自体、もう忘れていましたが、音量を下げた時の、母の悲しそうな表情…。私の目には焼き付いていました。そして、しびれがひどくなって、不安そうな母の表情も…。不思議と母へのいとおしさが込み上げてきたのです。 

言えない苦しさを乗り越える

普通の母と娘であれば、簡単に言える「ありがとう」。私には、どうしても言えない言葉でした。子供の頃、けんかばかりだった両親。構ってもらえず、寂しかった思いが拭えないのです。母との同居も「一人っ子の私が面倒を見る」と思う一方で、「少し距離を取りたい」のも本音でした。 

神の教えで会話の大切さを学んでも、できない自分。苦しくて、神に祈願していました。そんな時に、なぜか思い出した亡き夫の姿…。母のことをよく褒めていたのです。「片目が義眼なのに、自転車に乗れてすごいね」「縫い物も得意だね」。夫を思い出したら、なぜか母にすんなり言えた、「元気でいてくれてありがとう」。母は「何をいまさら…」と言いながらも、うれしそうな表情をしていたのです。 

「してあげている」よりも…

正直に言うと、母にはこんなに「してあげている」という思いがありました。でも、今は…。食事を「おいしい」と言ってくれる母。洗い物をしてくれる母。洗濯物を椅子に座りながら、干してくれる母。一生懸命「してくれる」姿が私の目に映り、感謝が湧き出てきます。何より、夫を亡くした時…。母が一緒にいてくれたから、悲しみから立ち直れたし、頑張れたのです。 

母の手のしびれは治まってきて、今はデイサービスに楽しく通っています。最近、施設の方から驚くことを聞きました。利用者さんに怒鳴られて落ち込んだスタッフに、声を掛けて励ましていたと…。義眼だからと、人との関わりを嫌がる母だったので、思わず涙があふれました。 

最近、母は、何でもないことでも、キャッキャと声を上げて笑います。その表情はいつも楽しそう…。母と一緒に過ごせる感謝が、私の胸に込み上げてきます。

家族それぞれ 立場わきまえ 声掛け合って 生活すること
 時代は流れ 立場は移り変わっても 家族の心重なり合って
    心の道に生き続けるのである
介護――家族の心 支え 補い合って 心の負担は生まれない
 いついつまでも 家族の心 神の手の中守られて 健康に暮らしてゆけるのである

家族それぞれ
  立場わきまえ 声掛け合って
            生活すること
 時代は流れ 立場は移り変わっても
   家族の心重なり合って
     心の道に生き続けるのである
介護――
  家族の心 支え 補い合って
        心の負担は生まれない
 いついつまでも
  家族の心
   神の手の中守られて
    健康に暮らしてゆけるのである

『真実の光・神示 平成19年版』111ページ