No. 1125

生きる希望が消えた人生
心を治す努力が生んだ奇跡
(北海道MK/50代男性/無職)

いわゆる「超氷河期世代」の私が、苦労の末に、ようやく就職できた会社。勤続10年を超え、「経理を任せたい」と責任者に抜擢(ばってき)。昇給も決まって、「これから」という時でした。突然、ビリッと痛む左肘。なかなか治まらず、受診すると、脊髄に腫瘍が見つかったのです。そこからの日々は急転直下でした。 

健康も仕事も一挙に失って 

付いた病名は「脊索腫」という、100万人に1人の難病でした。腫瘍が骨を侵食して増殖し、脊髄を圧迫する病です。私の症状も見る見る悪化し、歩行困難に。将来は、車椅子生活になる可能性もある…とまで言われたのです。仕事は退職せざるを得ず、何も残せなかったサラリーマン人生。絶望感から、生きる意欲が失せました。 

その後受けた手術は成功したものの、ベッドの上で、ただ天井を見詰める日々。医師に「神経の麻痺の回復は、1日1ミリ進むようなもの。根気強く」と言われましたが、私にはもう、その気力は残っていませんでした。「心が死んだ」。そう感じた私は「これで人生を終わらせよう」と本気で考え、両親に別れの電話。父の泣き叫ぶ声を、冷めた心で聞いていたのでした。 

心が元気になると、体まで… 

私の異変を察知したのか、看護師さんと主治医が飛んで来て、必死で励ましてくれました。その思いが染みて、「命をもらった」と心の底から感謝した次第です。 

入院した時から『生命の歩み』を読んでいましたが、ただ「体」が治りたい一心だったと思います。もう一度読み返す中で、治さなければならないのは、「心」と気が付きました。人を批判し、見下す心。医師にも、治療が順調に進まないことに腹を立て、心の中では不平不満が爆発していたのです。 

私の体を治そうと、懸命に関わってくれる医師や看護師の姿。涙を流して心配してくれる両親の姿。目に留まらなかった姿がようやく見えてきました。元気になりたい思いが込み上げ、本当に体まで元気になっていく不思議。つえを使って歩けるようになり、階段の昇降ができるようになり…。医師が「このまま骨が再生するかもしれない」と、希望の出る言葉を掛けてくれました。 

日に日に感じるご守護の深さ 

リハビリ中、看護実習生の話し相手になってほしいと依頼されました。重い病の人ほど、自分のことで精いっぱいで断るそうですが、引き受けました。「何か人の役に立ちたい」と考え始めていた私に、神が下さった機会と思ったからです。学生から、将来の不安や悩みを打ち明けられ、私も、見栄を張らず、正直な思いを語っていました。「あなたも私を助けてくれているよ。話をさせてくれてありがとう」と感謝。学生にも、病院にも感謝されて、退院の日を迎えたのです。 

治療の成果はどんどん出て、先日の検査では、何と腫瘍がきれいになくなっていました。軽いジョギングもでき、医師には「仕事にも復帰できるよ」と言っていただいています。病を患った時は、やっとつかんだ人生の良い流れを断ち切られた感覚でした。今は、本物の良い人生を歩めるように、神が方向転換してくださったのだと思えます。私の人生、ここからが肝心です。 

人の心を 明るく 強くするすべを知らずして 真の健康は手にできない
 なれど 人は 体調変化を観察し 病と健康を分けてゆく
「教え」を心(人生)の支えに 日々生きてごらん
 心安定し 現実 現状を冷静に受け止める 心のゆとりが持ててくる
 心(精神)明るく 強くなれたとき 人間は体調変化と調和できる
 真の健康を手にした人の心が ここにある

人の心を 明るく 強くするすべを
            知らずして
       真の健康は手にできない
 なれど 人は 体調変化を観察し
        病と健康を分けてゆく
「教え」を心(人生)の支えに
          日々生きてごらん
 心安定し
  現実 現状を冷静に受け止める
       心のゆとりが持ててくる
 心(精神)明るく 強くなれたとき
     人間は体調変化と調和できる
 真の健康を手にした人の心が
             ここにある

『真実の光・神示 平成29年版』15ページ(中略あり)