No. 1124

出会いは神の手の中の必然
全てが“今”につながる

私は、生後すぐに在籍。「神の力の不思議」も、何度も味わってきました。看護師を辞めて職員になろうと決めた時もそうでした。 

神の教えが生き方に現れる 

病棟の再編成、部長と次長の異動、経営方針の変更…とさまざまなことが重なり、仲間にも、病院にも迷惑を掛けずに済む最高のタイミング。一緒に働いたチームは解散となるものの、最後の最後まで働き抜けて悔いもありません。「このタイミングで良かったな。お前、知ってたろ」と、笑いながら言われるほどでした。 

お世話になった医師は、教会の公式サイトを開くなり、「君を見て、宗教と感じたことはないよ。どこにいても仲間だから、夢を持って頑張りなさい」と言ってくれました。先輩からも、「患者さんやご家族への接し方、寄り添う看護は、とても勉強になりました。次も、人に寄り添う仕事を選ぶなんて、あなたらしい。頑張って」と心をかけていただいたのです。 

こう言ってもらえたのも、神の教えが少しずつ、でも確実に、私の生き方の軸となっていたからだと思います。 

一つ一つが私の糧に 

かつては、両親に言われて教会に行く、困ったときの神頼みという時もありました。その頃の私は、思いどおりになったら、「守られて感謝」。にっこり優しいのは良い人、きつくてはっきり言うのは怖い人。そんな狭い見方しか、できていませんでした。しかし、本当に私を成長させてくれたのは、患者さんに苦しみをぶつけられて「顔も見たくない」と言われたり、スピードより患者との時間を優先する看護を先輩に否定されたりして、心が押しつぶされそうになった時。言いにくいことも言ってくれ、励ましてくれる人がいたおかげでした。両親にも、「必ず応援者がいてくれるね」と言われるほど、身近な人たちに前を向くきっかけをもらってきたのです。一つ一つの出来事が私の糧になるように、どの出会いも神が下さったものと思えてなりません。 

神示教会は“人の心の救いの場” 

マイナス思考で落ち込みやすく、苦手なことは逃げて傍観。そんな私が、毎日、「この人のために何ができるか教えてください」と祈願しながら業務に当たっている。これこそ、本来の私ではあり得ない心の変化。まさに奇跡です。 

神示教会は、「人の心の救いの場」です。病院で、どんなに救いたくても救えなかった命。生きる気力がなえてしまった心。家族にみとられない悲しさ…。そうならない救いの手だてが、ここにある。偉光会館で出会う信者さんの喜びの声や、心が変わる姿から、強く強く感じます。 

人や出来事との出会い、全部が偶然ではなく、神の手の中の“必然”。これからも、一瞬一瞬の出会いを大切に、触れ合う人たちのお役に立てるように頑張ります。