No. 1710

“過ぎる心”を修正するほど
穏やかで満足できる日々に

(岩手県MS/70代男性/国土調査作業員) 

私の性格をひと言で言うなら、「過ぎる心」。欲を出して、無理をする。折々に出てくるから、何とも厄介なものです。 

事故を招いた原因は…

昨冬、一人で雪山に登った時のこと。二連のはしごにできた氷柱が作り出す絶景が、目に飛び込んできました。まるで大蛇が鉄格子に絡みながら垂れ下がっているような…。写真を撮ろうとしたその瞬間、バランスを崩して滑落。ものすごいスピードで石に激突した時、家族の顔が浮かび、「何としても家に帰るのだ」との思いが心によぎったのです。全身を使って停止を試み、最後はわらをもつかむ気持ちで力を振り絞り、ようやく止まりました。それ以上落ちていたら、どうなっていたか分かりません。最後の最後に、神が手を差し伸べてくださった感覚でした。 

肩の脱臼と8カ所の骨折、全身打撲の大けがを負いながら、10キロもの道のりを7時間かけて下山し、4時間運転して帰宅。病院では、「よくこんな状態で…」と驚かれました。事故を招いたのは、紛れもなく私の性格。「誰も見たことのない絶景をSNSに」という強い欲望がもたらした結果でした。 

本気で性格の修正に

性格の恐ろしさを、あらためて痛感した私。加えて、妻がどんな気持ちで私を送り出してくれていたのかという思いにも。今まで心配を掛けてきたことに、申し訳なさでいっぱいでした。だから、「無理をしない」「心配を掛けない」「同じことを繰り返さない」。そう肝に銘じ、「これからは頂いた命に感謝して、自分を改め、縁ある人や周りに恩返ししよう」と決意したのです。 

かつて、私が神に心を向けるきっかけとなったのは『生命の歩み』の図書でした。そこには、世の中のどこにもない真理の数々が書かれていて、読むほどに「目からウロコ」の連続。この世の仕組みを知るにつれ、自分が取り組むべきことも見えました。その一つが、親、先祖から受け継ぐ実体がもたらす性格の修正。今こそ本気で努力しなければ…と思った次第です。 

負の結果を呼ばない生き方を

全ての要因は“私の心”にある。自分がすべきは、求め過ぎない心のゆとりを祈願すること。負の結果を呼ばない生き方を、折々に意識しました。すると、子育てで大変な娘に、厳しく言い放つことが減り、「頑張っているね」と優しく接していけるようになりました。時には相談に乗り、うれしいことは一緒に喜び、押し付けることなく見守れます。 

同居の義母とも、実の親子のように楽しく話せて、娘夫婦から「実家の雰囲気が良くなったね」と言われました。妻、長男、娘家族とは、メールで近況報告も。最近は、互いの状況が分かり合え、心が近く、つながっているのを感じます。 

心が満たされる素晴らしさ 

滑落から1年。こうしたい、こうせねばといった“こだわり”がなくなり、心がゆったりしているので、とても楽です。登山も、低い山でも楽しめて、満足できます。趣味の野菜作りも、「きょうはここまでやる」と決め過ぎず、ほどほどに。ぎっくり腰を患うこともなくなりました。すくすく育つ野菜をいとおしく感じ、自然の恵みにも感謝が湧いてきます。また、自治会長として、町内の方々の要望を聞き、応えるなど、地域に役立てることもありがたくてなりません。 

性格の改善に努めると、こんなにも心が満たされる…その素晴らしさを実感しています。さらなる向上を目指して、自分の不要な部分を剪定(せんてい)。これからも、豊かな心を育んでいきます。

「教え」を家族で学び
   「真理」で関わる家庭を築くべし
 「教え」が
    家族の心に気付きを与え
        「実体」は修正される
 自然と
  家族を思う心(感謝心)が芽吹き
    病気 事故・災いが消えてゆく
 欲心のとらわれから解放されて
    精神世界に「生きる」
       真実の喜びを体験できる

『真実の光・神示 令和4年版』44ページ(中略あり)