(大分県SH/60代女性/ケアマネジャー)
小さい頃から、母のことが嫌いでした。私の悪口を、父に何時間も言い続ける母。「親なのに何で!?」と受け入れられなくなっていきました。そんな母から逃げるように、結婚を機に家を出ました。
しかし、結婚生活はうまくいかずに別居。授かった一人娘は夫が育て、やがて私は両親と3人で暮らすことに。母から、戻ってきたことを責められ、悪口ばかりを聞かされる日々。一番傷ついたのは、認知症になって介護している時の「あんたなんか産んだ覚えがない!」というひと言。許せない思いが拭えずにいたのです。
自分のルーツが親だと意識して
つらい毎日を送っていた私に、転機が訪れたのは6年前。大分に偉光会館ができて、教務相談を受けたことでした。職員からの、親は自分のルーツであり、否定しては私の人生も枯れてしまう。娘としての関わりを断たないこと、という言葉。最初は、「それは無理。だって母が私を拒否するんだから」と受け止められませんでした。半面、どこか心に引っ掛かり、「このままでは嫌、温かく母を見てあげたい」と思う自分もいたのです。
そんな葛藤を、ずっと祈願していたある日のこと。母が自らの生い立ちをポツリと話してくれたのです。「父親が厳しくて、何をしても認めてもらえなかった…」。私は「これだ!」と思いました。親の愛を味わっていなかったんだ。母はきっと寂しかったんだろう。だから私にも愛情をかけられないんだ…。母を理解できると、たまっていた思いが流れていきました。同時に、親子で同じ寂しさを味わっているこの現実を、私の代で変えなくては! 強い思いが湧き上がりました。
母を介護するにも、育ててくれた感謝を持って、娘としてできる限りのことをしよう。そういう思いでいると、下のお世話をするときも、「お母さんが気持ち悪いだろうから、替えようね」と、掛ける言葉も変わっていきました。親子関係はどんどん穏やかに。「汚いことしてくれて、ありがとうね。あんたしかおらんわ」と母。「私こそ、生んでくれてありがとう。昔、おしめ替えてくれたでしょ」と私。ようやく母子らしいやりとりができるようになった頃、母は旅立っていきました。私の心には、許せない思いはもうなくなっていて、悔いなく見送れたのです。
根にある性格を修正しないと…
92歳の父と二人暮らしになると、今度は、母がいる頃は慕っていた父に対して、不満が。無口で、耳も遠い父に、「おいしい? おいしくない? 言ってくれないと分からない!」とイライラ。そんな自分が嫌になって気付きました。この、上から目線で、否定的な性格を修正しないと根本解決できない。私はまた、相手を自分に合わせようしていたけれど、自ら歩み寄ればいいんだ…と。
そばに行って、目を見て、「お父さん、おはよう」「おいしかった?」と言うことを心掛けると、父も応えてくれるように。何より穏やかな性格に触れて、母から悪口を言われた時に、そっとかばってくれた愛情を感じられる自分になれました。父のおおらかさを、私とは違う…と責めずに、ひとかけらでも受け継ぎたい、と思えるのです。
家族の愛情を味わえる我が家に
今、我が家には穏やかな空気が流れています。「お父さんと仲良くやっているから安心してね」と、亡き母に笑顔で思いを届ける毎日です。ずっと離れ離れだった娘は、自身の結婚を機に近くで暮らし始め、3人の孫も、何かにつけて出入りしてくれます。娘夫婦や孫が、親子関係で寂しい思いをしないように、愛心・愛語で触れていく。それが私の役割と思って、もっともっと温かい心を育んでいきます。



親と子は
その家の「心の道」に
「実体」を受け継いで
運命(寿命)の中で生きている
人生の真実を知って 信者は皆
「教え」を心(人生)の支えに
生きるべし
「教え」が信者の心(人生)を
孤独から救い
多くの人との出会いを深めて
楽しい「人生」を歩み抜ける
『真実の光・神示 平成30年版』137ページ(中略あり)


