(宮城県SS/60代女性/主婦)
昨年の夏、突然襲ってきた全身の疲労感…。家の中で、1分も立っていられなくなりました。しばらく落ち着いていましたが、もともとうつ病で通院していた私。かかりつけの医師からは、その再発と熱中症との診断。「水分を取って、とにかく何もしないこと」と言われました。
それなのに、「家には夫や長男がいる。二人の負担になってはいけない。せめて最低限の家事は…」と、無理を続ける毎日。家族が心配してくれても、「これくらいやれる!」と自分を曲げずにいました。ですが、そんな思いとは裏腹に、体調は悪くなる一方。再び通院すると、「何もしないとは、本当に何もしないことなんですよ!!」と厳しく注意されました。そこで初めて、事の重大さを知ったのです。
「遠慮」の心に気付いて
自分の中にある、家族を頼りきれない「遠慮」の心。信頼しているつもりでも、本音すら話せていない。まず、一番大切な家族を頼ろうと心が動きました。
「お父さん、迷惑を掛けるけど、支えてほしい」と、思い切って伝えた言葉。夫は「大丈夫! 俺が支えるから心配するな!」と気持ちよく受けてくれて、心から安心しました。家族のために、早く元気になりたい! 生きる力が湧いてきたのです。
夫は、仕事から帰ってきて家族の食事作り。息子も慣れない家事を手伝ってくれ、家族の頼もしい姿に、心はうれしさでいっぱいに。家のことを本当に任せきれた1カ月後、医師から外出してもいいと言われるほど、回復できました。
突然の介護生活に動揺
ところが、順調に回復してきた矢先に、高齢の父が入院。その日から、認知症の母を、家で預かることになりました。突然の、しかも初めての介護。何度も同じ話をされ、こちらの言うことは伝わらない…。だんだん、一緒にいるだけでイライラするように。苦しい心を抱え、夫と行った勉強会。そこで見えたのが、親のことを「負担」と思っている冷たい心でした。産んで育ててくれた感謝を忘れて、自分ばかり苦しいだなんて…。何て身勝手だったんだろうと反省したのです。思い返せば、自分の意に沿わないと、イライラして、相手を責めたり、求めたり。体調を崩した時も、そんな自分ファーストの心でいっぱいでした。これを変えないと根本解決はしない。母に思いやりの心で向き合えるように…と、真剣に祈願して帰途に就きました。
それ以来、不思議と出てきた心のゆとり。時に母の言動にイラッとしても、一呼吸置けます。私の言葉が柔らかくなると、母も素直に返してくれます。穏やかな日々を送れるようになっていったのです。
家族で支え合う思いを強く
すると、さらなる出来事が。夫の大腸にポリープが見つかり、手術することになったのです。以前なら不安になったはず。でも、「今度は、自分が支える!」と思え、動揺はありませんでした。一緒に病院へ行き、寄り添う中での手術は無事に成功。お見舞いに行くと、「子供じゃないんだから」と恥ずかしそうな笑顔の夫。支え合えているうれしさが込み上げました。
人生で、次から次へと押し寄せてくる環境変化。自分の力だけではどうにもならないと思うことも、家族で支え合えば必ず乗り越えていける。そう実感できた今、私の心は、明るく穏やかです。



健康とは
病気 けがのない姿を
いうのではない
精神が安定し
体に心が調和した姿をいう
家族で「教え」を学び
「真理」で関わる人々(ひと)は
まず心が安定し 迷いも消える
家族で
「生きる」真実の姿も共有できる
自然と 家庭は明るくなって
奉仕の心が 家族の心を包み
一つにする


